今回は栗原さん
栗原 裕一郎(くりはら・ゆういちろう) 
栗原さん
はやりのエクササイズ、プランクチャレンジに挑戦中。手軽に全身の筋肉を鍛えられるという売りだが、さて。
被災の記憶 残す方法 4.13

 東日本大震災から五年。復興は遅れており災禍は過ぎていない。だが「復興」とは何か。
<1>土方正志『震災編集者-東北のちいさな出版社<荒蝦夷(あらえみし)>の5年間』(河出書房新社・1,728円)はそう問う。


 仙台市で社員二人の小出版社を営んでいた土方は罹災(りさい)した。直後は「もう、ダメか」と観念しかけたが、同社と関わりのある書き手や、書店などの物心両面からの支援により事業を持ちこたえた。土方はかつて書き手として阪神大震災など全国の被災地を取材してきた。それが今度は被災者となり、震災後の日常を日記のように書き留め、雑誌に発表するようになった。その記録を編んだものが本書だ。


 「復興」に対して出版者としての土方の出した答えは「来るべき時代のための記憶の記録」を残すこと。「災」によって失われたものが「復」するとはどういうことか。「今」を記録し未来に繋(つな)げて「新」を期することにこそ「再」はあるのではないか。そうした葛藤が土方の答えの裏には流れている。


 土方の本にも記録されているが、震災後の東北では幽霊譚(たん)がよく生まれたそうだ。タクシー運転手が幽霊を乗せた体験談に共通する特異なリアリティーに着目し、調査研究した卒業論文がメディアで話題になった。<2>金菱(かねびし)清(ゼミナール)編『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社・2,376円)は、その論文を巻頭に配した、死者と生者の共棲(きょうせい)を

主題とした「震災の記録プロジェクト」である。幽霊現象のほかにも複数のテーマが並ぶ。どれも被災地をめぐるフィールドワークとして貴重な研究ではある。どれも被災地をめぐるフィールドワークとして貴重な研究ではある。


 だが疑問もある。金菱は前書きで、「霊性」を足場にした「災害社会学」を立ち上げるのが目的だと述べているのだが、うまくいっているとは思えない。たとえばタクシー論文では、死者の「無念」や「アイデンティティ」などを論拠にしてしまっているのだ。これではちょっと学問とは呼べまい。


 この混乱は、死者の受容という難問に由来する。<3>彩瀬(あやせ)まる『やがて海へと届く』(講談社・1,620円)は、震災後この難題に向き合ってきた作者が、彼女なりの決着をつけた小説である。彩瀬もまた被災者であり、そのドキュメントは『暗い夜、星を数えて-3・11被災鉄道からの脱出』(新潮社)として残されている。


 「真奈」と「すみれ」二つの視点で構成されるが、どちらも「私」で、すみれは死者である。真奈とすみれは親友だった。二つの「私」は、一個の人間が生と死に分断されてしまったら、という仮定のそれぞれを表象した存在と見ることもできる。死者の内面が空想でしかない点では先の論文と変わりないが、小説という表現は、空想でしか捉え切れない現実を飲み込む術でもあるのだ。

『東京を生きる』
『震災編集者-
東北のちいさな出版社
<荒蝦夷(あらえみし)>
の5年間』
土方正志
(河出書房新社・1,728円)
『ここは退屈迎えに来て』
『呼び覚まされる霊性の震災学』
金菱清(ゼミナール)編
(新曜社・2,376円)
『たまらなく、アーベイン』
『やがて海へと届く』
彩瀬まる
(講談社・1,620円)