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3冊の本棚

文章のプロが毎回テーマに沿って、3冊の本をセレクト。
作家という書き手の視線で選ばれた本の魅力をご紹介いたします。

酒井順子さん
(さかい・じゅんこ)

エッセイスト。先日、北海道新幹線に初めて乗りました。
酒井順子

人を虜にする将棋

 SMもの目当てで団鬼六作品を手に取るうちに、氏の将棋ものも読んでみるとむしろSMものより面白く、そこから将棋本にはまった時期があります。将棋のルールは知らない私にも、将棋本は勝負の興奮を味わわせてくれるのです。
 今は藤井4段ブームで、将棋が人気です。しかしスマートな彼と昔の棋士達を比べると、その印象はだいぶ違うもの。たとえば<1>升田幸三『名人に香車を引いた男-升田幸三自伝』(中公文庫・926円)は、大正8(1919)年に生まれ、将棋で身を立てるべく広島の実家を飛び出したのが、今の藤井4段と同じ14歳。その時に書き残したのが「名人に香車を引いて勝つ」。
 放浪生活や徴兵を経験しながらも力をつけた升田は、本当に「名人に香車を引いて勝つ」のでした。
 升田は、さまざまな事件も巻き起こしています。が、われわれはどこかで「将棋以外はダメ」という人物像を棋士に望んでいて、そんな升田に勝負師の凄(すご)みを感じるのでした。
 「将棋以外はダメ」な人の典型例が<2>団鬼六『真剣師 小池重明(じゅうめい)』(幻冬舎アウトロー文庫・617円)。小池重明は実在した真剣師、すなわち金銭を賭けた将棋で稼ぐ人。滅法(めっぽう)強くて、プロもばったばったと斬っていく。…けれど、金と女と酒に極端にだらしなく、プロになれそうなチャンスも逃してしまいます。
 酒のせいで、44歳で他界した小池。本で読む分には面白いのですが、近くにいたらさぞ迷惑な人でしょう。しかし将棋に「強い」ということだけが、そんな生き方をも照らすのです。著者は小池を「悪魔」と書きますが、そんな悪魔を生み出した将棋への深い愛が感じられる1冊。
 今のプロ棋士は皆、スマートでエリートという印象があります。が、<3>先崎学『摩訶(まか)不思議な棋士の脳』(日本将棋連盟・1,663円)。著者の先崎学9段から漂ってくるのは、昔風の無頼派棋士の残り香。
 エッセイの名手としても知られる著者の文章からは、勝負の厳しさが伝わります。日々の生活で勝負をする機会が無い身にとって、勝つ喜び、そして負ける悔しさへの郷愁が湧き上がるのでした。
 本書では、団鬼六の素顔も記されていました。生前、「生まれ変われるなら将棋指しになりたいわ」と言っていたという、団。それほどまでに人を虜(とりこ)にする将棋というものを、知りたいような知りたくないような…。
  • 『名人に香車を引いた男-升田幸三自伝』
    升田幸三
    (中公文庫・926円)

  • 『真剣師 小池重明(じゅうめい)』
    団鬼六
    (幻冬舎アウトロー文庫・617円)

  • 『摩訶(まか)不思議な棋士の脳』
    先崎学
    (日本将棋連盟・1,663円)