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3冊の本棚

文章のプロが毎回テーマに沿って、3冊の本をセレクト。
作家という書き手の視線で選ばれた本の魅力をご紹介いたします。

栗原裕一郎さん
(くりはら・ゆういちろう)

評論家。息子は7カ月になりました。ハイハイを始めたと思ったらあれよと行動範囲を広げて破壊行為を。
栗原裕一郎

「見知らぬ記憶」を探る

 <1>小林紀晴(きせい)『見知らぬ記憶』(平凡社・1,944円)を手に取ったのは、そのタイトルと、帯に書かれた「写真が掘り起こす、忘れた過去/写真が予言する、まだ見ぬ未来」という文章に惹(ひ)かれたからだ。「経験したはずのない過去に対する懐かしさ」というような感覚になぜか一種のオブセッション(妄執)を持っていて、そういう意識を共有していそうな作品にはつい反応してしまうのである。
 写真家である小林が、自分が撮ったことは間違いないのに記憶から消えていた写真に導かれるようにして書いたエッセーたちが収められている。「もし写真を撮っていなければ、見知らぬ記憶の断片は、なかったことになっていただろう。フィルムが感光することや、紙の上でモノとなることで、かろうじて別のかたちで記憶が残ったのだ。いや、それらが残っていたからこそ、新たな記憶がつくりあげられた、といえるのかもしれない」
 柴崎友香の小説にも共犯意識を勝手に覚えることがある。たとえば『わたしがいなかった街で』や、この新作<2>『千の扉』(中央公論新社・1,728円)もそうだ。築40年以上になる広大な都営団地を舞台に、その団地にかつて住んだり、住み続けていたりする人々の人生と記憶の交錯を重層的に描いた作である。語り手は39歳の千歳(ちとせ)。結婚相手の一俊と、彼の祖父・勝男が世帯主である401号室に仮住まいしている。骨折の療養で部屋を空けた勝男の留守居のためだ。この団地のどこかに昔住んでいて、今はいるかどうかわからない「高橋さん」の捜索を勝男から頼まれた千歳ののんびりとした冒険によって、団地に積み重なった人々の記憶の層がひもとかれていく。
 たぶん柴崎は、時の経過で少しずつ書き換わった無数の地図を全部重ねて透過して見るような仕方で、人々の記憶の層を小説というかたちに定着したいのだ。千歳は思う「人の中にある記憶の景色が見えたらな、って」。
 柴崎の小説を読むと思い出すのが、<3>ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』(花輪光訳、みすず書房・3,024円)だ。写真論の体裁を採りながらバルトが突き詰めたいと思っているのは、実のところ、亡くしたばかりの愛する母の写真、その一枚の秘密だけなのだ。自分の知らない少女時代の母を写したその写真だけが「私」に母の真実を伝えるのはなぜか。思索の末に彼は「それは=かつて=あった」という式のようなものを写真の本質として見いだす。バルトが驚きをもって発見した「本質」もまた「見知らぬ記憶」なのだと私は了解している。
  • 『見知らぬ記憶』
    小林紀晴(きせい)
    (平凡社・1,944)

  • 『千の扉』
    柴崎友香
    (中央公論新社・1,728円)

  • 『明るい部屋 写真についての覚書』
    ロラン・バルト
    (花輪光訳、みすず書房・3,024円)