• 2012年
    (平成24年)
    05月23日
    (水曜日)


    千代田区編

    ホンモノの東京新聞はこちらから


    東京交通会館の瀧見さんから有楽町周辺の歴史について説明を受ける松尾編集長 東京交通会館の瀧見さんから有楽町周辺の歴史について説明を受ける松尾編集長

     これから、偉い人からの制止がかかるまで、「深い」とは名ばかりの、町中にある枝葉末節のことどもをぼんやりと眺めながら、東京の街を散策してみよう。深いどころか「不快」に感じる向きすらあるやも知れないが、それは体調のせいだとあきらめて頂いて、どうぞおつき合い下さい。さて、記念すべき……、という表現は余りにも陳腐だけれども、「東京深聞」第一回はご想像の通り千代田区だ。

     システマティックなオフィス街というイメージのこの地、「昼間の人口」はなんと85万人だという。世田谷区の人口ぐらいか。ところが実際に住んでいるのは4万人台、東京23区で一番少ない。これは4人家族の家に、毎朝70人が押し寄せている状態である。元は都心の中の都心で、現在都庁がある新宿は副都心と呼ばれていた。近年でも「新宿副都心」と呼ぶ人はいるが、今は千代田区の方が副都心なのだろうか。私はそう言っている人に会ったことがないけれども、実はぼんやりと隠されていることなのかもしれない。
     散策にあたって、大部分を占めるオフィス街を見て回ろうと思ったけれども、最近はどうにも世の中がギスギスしていて、不細工な写真入りのカードを首からぶら下げていない者はビルに入れてもらえないことが多く、さりとて生来の無精者の私はいちいち来訪者の手続きをするのが面倒なので、それ以外のところを観て行こう。

    公園内での過ごし方を読み解く
     東京新聞の玄関から出発し、日比谷公園へ。ここは身分証明書がなくとも自由に出入りができる。鳩ですら。住所は、千代田区日比谷公園。これが正式らしい。まだ寒いからか、人があまりいない。遠くの方のベンチに人影が見えた。それとなく近付いてみると、30歳くらいの女性が一人でぶつぶつ何やら喋っている。なるほど携帯電話での通話かと思ったら、そういった機器は見当たらない。「……だあから!……気持ち悪い!……気持ち悪いのよ、だから!……」と、毒づくようにどなたかと「交信」していたのだった。袖振り合うも他生の縁、事態が改善することを祈りたい。
     公園に入ってみて改めて驚くのは、私たちに対してあまりにも手厚く公園内での過ごし方を教えてくださっていることだ。『公園内ではローラースケート・スケートボード等の危険なあそびを禁止します。東京都』の、「東京都」は必要なのだろうか。「都から言われちゃあ仕方がねえ」と、あきらめる人もいるのだろうなあ。
    『テントを設置したり、荷物を放置する等して公園を占拠することは禁止されています。日比谷公園サービスセンター』、こちらはアルジの範囲が狭まった。占拠とは、何か確信犯的な活動を想起させるなあ。
    『公園内で、鳥など動物の死骸を発見した場合は、手を触れずにサービスセンターまでご連絡ください。』は、ふりがなと電話番号付きだ。 「手を触れずに」ということは、触れる人がいるからこその注意書きなのだろう。はっ!さっきのお姉さんは、触ってしまった感想を言っていたのか……。
    『とけいに、いたずらをしたり、とけいのうえに、あがったりしないでください』これは金がかかっている。ステンレスの説明用の看板に、文字を彫り込み、凹んだ部分に緑の着色まで。上に記された、メインであるソーラー時計の解説がほとんど読めなくなる中、注意書きは頑張っている。広い公園内には、まだまだ親切な注意書きは夥しく(おびただしく)存在するが、千代田区の特色ではなさそうな気がしてきたので、次へ行こう。

    風雨にさらされ、ほとんど読めなくなっていました。風雨にさらされ、ほとんど読めなくなっていました

  • 2012年
    (平成24年)
    05月23日
    (水曜日)

    米国コダックも経営破綻してしまいましたね…

     何とも哀愁のある売店の看板を発見した。古い建物に傾いた看板だから、というだけではない。清涼飲料水のタイアップで設置されたであろう看板には、「たばこ」「フィルム」の文字が。看板商品の二つともが、もはや斜陽である。この公園の中ですら、大部分の場所は禁煙だ。 そして、フィルムを買おうという人も、趣味のカメラマン以外はそうそういない。雑誌などの撮影で日比谷公園に来た写真家がフィルムを切らす、ということもまず考えられない。
    「時代の波だなあ」と話していたら、店の人が中からこちらをうかがっていた。ちょっと失敗。
     公園から逃げ出して、帝国ホテル、東京宝塚劇場の方面へ。ここは宝塚のトップスターが退団ということになると、玉せせりかプラハの春かというようなヅカファンの群衆が、それでいて奇妙に統制のとれた形でスターの出待ちをする光景が見られる。抜け駆けなんかすると、リストに載ってしまうのかもしれない。何のリストかはわからないけれども。
    大都会・有楽町で逢いましょう。
     私に馴染みのある界隈が近付いて来た。有楽町のガード下付近だ。怒りの血管模様が添えられた一枚の貼り紙に一瞬戸惑う。「前頭」って何だ。大相撲の前頭一枚目か。よく見ると、「頭前」だった。どうにも怒っている書き様なのに、書いた人が良い人なのだろう、「ですぅ」と敬語になっている。左が破かれていて見えにくいが、「店頭前ですぅ」が正解だった。駐車お断りだったのか。

    正解は「店頭前ですぅ」だと思います

    店先だから店頭で良いのに、店頭前なので眼に馴染まなかったのだな。あ、これも千代田名物ではないか。
     メーター類や壁面に、あやとりをしているような手のイラストが描かれたステッカーがそこかしこに貼られているが、文字の説明はない。何かの暗号か、判じ物か。しばし悩んだが、多分タバコを紙巻きにする器具を操っている図のようだ。巻かれているのが本当にタバコの葉かどうかは怪しい。 あやとりをしている?何かの暗号なのか!?

    新幹線から自動車教習のコースが見えた記憶があるのですが・・・

    売人が「顧客」に対して、通話記録などの痕跡を残さずに、何かの合図を送る為、事前に貼った信号なのかもしれない、大都会・有楽町。東京交通会館にやって来た。私の錯覚か思い違いか、ビルの低階層がせり出した部分の屋上に、30年ぐらい前、自動車教習のコースがあった記憶があるのだけれど、私の妄想だろうか。大昔からこの界隈に詳しい瀧見さんという方に聞いてみたのだけれど、「昔からこんな感じだったと思いますが……」とのこと。私は法令遵守しているのに、なぜこんな幻覚が起きてしまったのか、大都会・有楽町。

     ところで、有楽町と言えばニッポン放送である。まだ大学を卒業して一年しか経たない有象無象の私を、夜9時からの一時間番組のパーソナリティに抜擢した「おっちょこちょい放送局」だ。 懐かしいなあ。聴取率がトップになって、亀渕昭信さんから表彰され、ご褒美に5万円貰って事務所に内緒にしたのが昨日のことのように思い出される。平日の帯番組だったので、日替わりでお笑いの大御所やアイドルやスター達と、狭い廊下やスタジオで世間話ができる濃密な社交場だった。今は広くなったのでそういう雰囲気はないのだろうなあ。

    突如表れたノスタルジックなコーナーに東京新聞のロゴを発見!!

     縦長のニッポン放送(糖業会館といったかな)では、階段で昇降することが多かったのだが、あるとき、スタジオ側から階段に踏み出そうとしたら、がちゃがちゃとしたオンエアが館内に流れていたので、私の足音に気づかなかったのだろう、いつも挨拶を交わしている警備のおじいさんと掃除のおばさんが熱烈に接吻をやらかしていて、めまいを発症しそうになったのも、塩辛い思い出だ。
     さて、有楽町と言えばマリオンだ。向かおうとしたら、横断する歩行者向けに、緑の看板の注意書きが掲げられているが、信号に阻まれて読みにくいぞ。ガードをくぐり抜ければ、そこは日劇ウェスタン・カーニバル。私の茶飲み友達のミッキー・カーチスさんはここでファンを狂乱状態にしていたという。ご存知の通り、現在日劇の建物は有楽町マリオンに変身し、「日劇」という名称は、中にある映画館として残っている。ニッポン放送に通っていた頃、ここで復活版の「ゴジラ」を観たなあ。マリオンで観ている映画に、マリオンを壊している怪獣の様子が大きく映し出され、全国でおそらくここでしか笑いが起きない場面になっていた。
      ビルの名前を「銀座マリオン」にしようとしたら、銀座の皆様がお怒りで、「有楽町マリオン」になったと記憶しているが、私の記憶は当てにならない。前出の瀧見さんからこの辺りの蘊蓄(うんちく)を色々と聞かせて頂いて、今夜の居酒屋での話題には事欠かない状況だ。彼と一緒に定時のからくり時計を鑑賞、完成した頃に見に来て以来、28年ぶりだったので少なからず感慨があった。
     脇を見ると、歌碑がある。故・フランク永井さんの名曲、「有楽町で逢いましょう」の歌詞が彫られている。 瀧見さんによると、この唄は有楽町そごうデパートのCMソングだったそうだ。よし、これでもう一杯飲めるぞ。 フランク永井さんの名曲「有楽町で逢いましょう」の歌碑

     瀧見さんが古地図で解説してくださったのだが、この地には時代劇でも有名な大岡越前がいた、南町奉行所があった。更に北側には短期で無くなった中町奉行所、更に八重洲の方には(出世して南町奉行所にもいったけれど)遠山の金さんがいた北町奉行所もあったらしい。マリオンの裏のビルを建てる時には、書庫や建材など、様々な歴史的な価値のある文化財が出土したという。そのうちの、水道代わりの木管や石垣の一部が、地下街の広場の腰掛けになっている。そして、おそらくは、座っている人々の大多数はこの事実を知らない。

    スポット情報

    ●東京交通会館
    http://www.kotsukaikan.co.jp/

    ●有楽町イトシア
    http://www.itocia.jp/