• 2013年
    (平成25年)
    08月28日
    (水曜日)


    世田谷区編PartⅠ
    ホンモノの東京新聞はこちらから


    本日の編集長(世田谷の路面電車、東急世田谷線にて) 本日の編集長(世田谷の路面電車、東急世田谷線にて)

    東京都世田谷区。「区」とは言っても、なかなかの区なのだ。中野区ではない。

     東京23区の中で、大田区の羽田空港の敷地を除けば、一番面積の広い区 だ。なぜ空港を除くのかについては、答えない。人口も、90万人近くを擁し、東京23区で最多である。区政が始まったときには、当時35あった区の中で最 少だったらしいが、昭和の後半からずんずんと増えてきたそうだ。「世田谷市」に格上げしよう、という運動も一時はあったようだが、90万人と言えば、もは や「県」レベルではないか。島根県の70万人、鳥取県の60万人という数字を見ても、「世田谷県」は夢ではない。いや、誰もそんな夢は見ないけれども。

    我が街、我が地元、世田谷区の思い出。

     以前は、地方都市が政令指定都市の名目を手に入れる基準が、世田谷区の人口を超えているかどうかだったそうだ。少子化で日本の人口が緩やかに減っ ている現在、おそらくまだ世田谷区の人口は増え続けているだろうから、それを基準にしていたら新しい政令指定都市はなかなか現れないだろう。

     さて、私事だけれども、世田谷区に住み始めて、もうそろそろ四半世紀が経とうとし ている。最初は三軒茶屋の茶沢通りからちょいとソフトバンク(当時はディスカウントショップの「モリ」だった)の店から西へ入った突き当たりの、少々バブ ルを感じさせるお洒落な1LDKだった。


    世田谷の下町、三軒茶屋の仲見世通り

    やはりそういう時代だったのか、相当(私にしては)高い家賃のマンションで、なぜか大家さんは世田谷の大きな寺だった。お寺さんがなぜこんなバブリーなマ ンションを経営しているのかと当時は不思議に思ったものだが、今から思えばさもありなんという状況が色々と浮かんでくる。そこを含めて今の住まいは世田谷 に住み始めて5軒目、ということになる。単に相性が合うのだろうが、本当に住みやすい街だ。


    下北沢の珈琲店「やなか」。編集長もよく訪れるとか

    キャロットタワーにて、携帯カメラと格闘中 キャロットタワーにて、携帯カメラと格闘中

    編集長ゆかりの地、下北沢の路地裏 編集長ゆかりの地、下北沢の路地裏

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    08月28日
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    レトロな雑貨屋さん。懐かしの逸品を探索中


     統計の数字を見たわけではないけれども、三軒茶屋や下北沢は、関西人率が高いように思う。東北から東京へやって来た人はどちらかと言えば墨田区や台東区 に住むことが多く、逆に関西人は世田谷区や目黒区に住むことが多い。これは、全く根拠のない私の思い込みだ。皇居や都心を挟んで、少しでも故郷に近い方に 住みたい意識が現れることもあるだろうが、権威に対して従属的でない関西人の住み心地の良さが、下北沢や三茶のサブカルチャーとの親和性と無縁ではないの ではないか、という勝手な仮説を立てたこともある。

    三軒茶屋、路地裏の名店。どうしても飲み屋が気になる模様…

    もちろん、検証は全くしていない。
     自分が演劇人の端くれということもあって、若い時から下北沢・三軒茶屋界隈に対する憧憬、愛着は強い。庶民が関東大震災や東京大空襲で住み着いて発展して来た経緯から、山の手と言われる世田谷区内にあって、なかなかに庶民的で、進取の精神を尊び、「異物」を許容する懐の深さも持っている魅力的な街なのだ。
    似顔絵ギフトのお店。ちょっと似てるかも…!?

    編集長、我が店「般°若(ぱんにゃ)」で舌つづみ!
    編集長のこだわりが詰まったカレー店「般°若(ぱんにゃ)」

     かねてから、小さなカレー店を出したいと考えていた私は、4年半前に下北沢でその思いを実現することになった。実現、と言ってもあまりにも小規模 な夢だけれども、私の中ではその感慨はすこぶる大きいものだった。もちろん、さあ店を開こう、と物件を漁っていたわけではない。友人のコメディ・ライター 須田泰成氏が、コメディアンやボードビリアンをはじめとした様々な表現者たちに、廉価で気軽に実験や発表ができるスペースを提供したいという思いから、ラ イブスペース「スロー・コメディ・ファクトリー」、略して「スロコメ」を5年前にこの地に開いたので、私もコントや朗読会、トークショーを開き、観客とし ても足しげく通っていたところ、

    「隣の古着屋さんが来月移転されるようですよ」

    と須田さんからの情報があり、一瞬の迷いもなく始めることにしたのだった。



    キーマカレーに舌づつみ。ビールも進みます


    パートナーでありブレーンである友人とすでに基本的なレシピは完成させていたものの、今から思えばスタッフもいない中、無謀とも思える状態で始めることに なった。たまたま私が通っていた渋谷のカレー店の従業員に「私はカレー屋さんでしか働きたくないんです」とカレー愛を語っていた女性がいたのを思い出し、 快諾を受けて、めでたく開店の運びとなった。それが、下北沢のスズナリ劇場近く、茶沢通りの小田急線の踏切、いや、ここもすでに線路は地下を潜ったので踏 切ではない、ただの地面の盛り上がった通過点に過ぎないが、交番のない側にわたって右方向(実はこちらが茶沢通りの続きなのだが)へ行って百メートルあま り、お地蔵さんがあるので道がややクランク状になっている所で、お地蔵さんに挨拶をしながら左を見ればそこにある、小さな店が「般°若(パンニャ)」であ る。
    お店のそばのお地蔵様。お願いするのは商売繁盛!?

    向かいは邦楽の太鼓や笛を扱う、川田太鼓工房「清」という親切な楽器店が目印だ。  ここで「チキンカレー」や、キーマとの「ハーフ&ハーフ」、あの「中勢以」の熟成豚肉を使った「特別なカツカレー」を食べることが楽しみで私は生きている。狭い狭い店で、寛ぐと言う表現は適当ではないかも知れないが、心のスイッチを「緩」にできる、貴重な空間になっている。さりげなく宣伝するつもりが、すこぶる宣伝じみてしまって申し訳ない。
    「居心地」に歴史の有る街、下北沢。

     「般°若(パンニャ)」から、茶沢通り(本当にここも茶沢通りなのだ)をほんの少しだけ元の踏切があった方向へ戻り路地を右に入ると、「アトリエ乾電 池」がある。柄本明さん主催の劇団、東京乾電池の本拠地だ。稽古場もシアターもかねていて、芝居の公演や、笑福亭鶴瓶さんや桂雀々さんの落語会などが催さ れている。実は、ありがたいことに柄本さんも「般°若」の常連でいらっしゃる。

    下北沢の芝居劇場「スズナリ」。下北沢を演劇の街にした歴史的な小劇場


    東京乾電池の本拠地「アトリエ乾電池」

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    08月28日
    (水曜日)

     下北沢の駅の北側には、最近屋根が壊れたと話題になった小さなアーケードの商店街や、小さな飲食店、古着屋、和装店などがひしめいている。ある意 味では、下北沢の街の雰囲気を作り上げて来た根幹の要素ともなるべき一帯だ。この辺りを大規模に立ち退きさせて、幅26メートルだかなんだかの馬鹿でかい 道路を通すと都は躍起になっているようだが、この街を愛する人たちの間では「下北沢に大きな道路はいらない」と、近年反対運動も盛り上がっている。東京都 は、よくある地方都市の駅前にしてしまいたいようだが、この辺りだけ広く短い道路を造りたいということは、とりもなおさず大きなビルを造る計画がその先に あるということなのではないかと勘ぐってしまう。それでどういう人たちが得をするのか、よく見張らなくては。

     小田急線の線路が地下に潜り、列車が通っていた所やホームや渡り廊下などがどんどん様変わりしている。

    少しばかり便利になって、この先本当のこの街の良さが失われないか不安も残る。本多劇場、スズナリ、駅前劇場、劇小劇場、楽園、シアター711。この街の文化を作り上げて来た「ハコ」と、そこで化学反応を続けて来た人々の「居心地」に、行政が水を差さないことを切に願う。下北沢の駅前再開発。駅前はどう変わるのでしょうか
    下北沢の駅前再開発。駅前はどう変わるのでしょうか
    世田谷の下町、庶民に優しい三軒茶屋

     下北沢から三茶へは、茶沢通りを20分ほどたらたら歩けば辿り着く。三軒茶屋は、文字通り三軒の茶屋があった所らしい。昔、酒場で遇ったエド山口 さんに聞いただけなのでうろ覚えだが、角屋、田中屋、石橋屋だったか信楽屋だったか(漢字も不確実)という所があって、あとは目立った物もキャロットタ ワーも無かったのだけれども、震災や空襲で下町から避難して来た人々によって、街が形成されたらしい。だからなのか、やはり住民は親切で下町風の気持ち良 さを持っている。世田谷の他の地区とも違って、高級店も少ない。映画館からしてそうだ。「三軒茶屋シネマ」では、廉価で、しかもごく最近話題になって封切 館が興行を終えたばかりのような目新しい作品が、2本立てで観られるのだ。この近くに住んでいた頃は、ずいぶんとお世話になったものだ。

     廉価と言えば、シネマの奥に世田谷通りと平行している道を少し先に進む と、「スタミナ道場」という黄色いのれんが目立つ焼肉屋店がある。三茶で困った時はこの店と決めていて、親切な大将が色々とフレキシブルにサービスしてく れる。十数年前、この店で隣り合わせた会社員風の三人組に話しかけられ、私が「どういう業種の会社ですか」と聞いたら「製薬会社です」というので、「どこ だろう」と言ったら「当ててみてください、絶対に当たらないと思いますけど」というので、当てずっぽうで「……グラクソ?」と言ったら、三人とも目を丸く して顔を見合わせていた、という思い出があります。自分でも、「賭けときゃよかった」と思ったものだった。


    キャロットタワー内のエフエム世田谷。広報の方とパチリ
    キャロットタワー内のエフエム世田谷。広報の方とパチリ

    レバ刺しはなくなっちゃったんですね・・・!?
    レバ刺しはなくなっちゃったんですね・・・!?

    編集長、仲良しの大将と1枚

    こちらは小劇場「劇」。編集長それはお芝居??
    こちらは小劇場「劇」。編集長それはお芝居??

    三茶シネマの受付。時計もレトロで味わい深く
    三茶シネマの受付。時計もレトロで味わい深く

    カレーという言葉にやっぱり反応してしまう編集長
    カレーという言葉にやっぱり反応してしまう編集長

    三茶裏通りの秘湯「千代の湯」、果たして中はどうなっているのか!?
    三茶裏通りの秘湯「千代の湯」、果たして中はどうなっているのか!?

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    文化人の集まるバー、開いてます!?
    上馬の交差点の前に何故か存在するトリックアート

     三茶から246号線を緩やかに上り坂を下ると、とはややこしい表現だが、都心からはなれる方向に行くので下るのだけれども、駒沢大学方面に歩く途中が上り坂なので、こういう表現になってしまったが、もうしかたがない。環七との大きな立体交差に差し掛かる。ここが「上馬」の交差点だ。この界隈で知らぬことはない(のではないか、と思われる)菱田不動産の壁にあるトリックアートで遊んだあと、環七を柿の木坂方面へ左折すると、ファミリーマートの三軒ほど先に、大阪風の串カツ屋「川政」がある。実はここのビルの二階に「bar- closed(バー・クローズド)」といういい雰囲気のバーがあって、時折ここで朗読会や小さな集まりを催している。落語家の春風亭昇太さんやマジシャンのナポレオンズ・パルト小石さんとトークショーを開く時は、この「川政」で待ち合わせと腹ごしらえと打ち合わせをして、二階に上がるというパターンなのだ。
     実は、先日まで10年あまり、小石さんや昇太師匠らとともに、この店のオーナーというか、保存会をやっていた。十数年前に、脚本家の小山薫堂さんに連れ て行かれたのが最初だった。二階の大きな窓から、環七を走るトラックが246号線の下を潜るべくスロープに滑り込んで行く様を見下ろしながら、カクテルを 飲んでクールダウンして帰路につく習慣が定着した頃、店主から「薫堂さんと都心部で店をやるので畳みます」と宣告され、そりゃ困ると私たちが経堂で保存会 を始めたのがきっかけだった。このほど新しい店長が見つかり、それもなかなか優秀なバーテンダーで、完全にお任せしようということになった。もちろん、足 しげく通うことには全く変わりはないのだけれども。(世田谷区後編に続く)
    新店長兼バーテンダーの鈴木さんと談笑中

    編集長の長年のお気に入り、「bar-closed(バー・クローズド)」

    串カツ屋さんの自動販売機。どうやって作ったの…??

    スポット情報

    ■般°若 東京(下北沢)店
    東京都世田谷区北沢 3-23-23

    下北沢シティハウスII 1F

    TEL:03-3485-4548


    ■bar-closed(バー・クローズド)
    東京都世田谷区野沢2-34-1-2F

    TEL:03-3424-9690

    ■やなか珈琲店 下北沢店
    東京都世田谷区北沢2-33-6 グリーンテラスビル1F

    TEL:0120-935-466


    ■スタミナ道場
    東京都世田谷区三軒茶屋2-16-5

    TEL:03-3410-7260

    ■三軒茶屋シネマ
    東京都世田谷区三軒茶屋2-14-6

    TEL:03-3421-3322

    ■串かつ 川政
    東京都世田谷区野沢2-34-1 三共無線野沢ビル1F

    TEL:03-6805-3223


    ■FM世田谷STUDIO(キャロットタワー内)
    世田谷区太子堂4-1-1三軒茶屋キャロットタワー26F

     

    ※今回も松尾編集長の地元という事で、「責任編集版」としてお送りしました。

    編集長松尾貴史
    松尾貴史

     1960年神戸市生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業後、研究室勤務のかたわら、ナレーターとしてデビュー。テレビ、ラジオ、映画、舞台、エッセイ、イラスト、カレー店など、分野にこだわらず活動。著書に「接客主義」「ネタになる統計データ」など。最新刊は「なぜ宇宙人は地球に来ない?笑う超常現象入門」を編み直した「超常現象・都市伝説」(PHP研究所)。