九段坂は、飯田坂といわれた坂沿いに9段からなる御用屋敷が築かれたことから、名前がついた。関東大震災後に改修されたが、昔は牛ケ淵(ふち)へ転げ落ちるほど険しく、坂の上の燈篭(とうろう)は房総からも望めたという。「市電も当初は上れず、牛ケ淵の崖を走っていました」と寿々木の3代目・鈴木吉太郎さんはいう。店は戦後、表通りから空襲を免れた路地へ移転した。ビルの谷間に木造家屋が並び、季節の和菓子が彩る店先では、多くの人が歩く速度をゆるめる。
九段下から千鳥ケ淵にかけては、緑豊かで、文化的な施設や戦争の記憶を伝える場所が多く点在している。
しょうけい館では、戦争によるけがや病で障害を負った兵士たちの、証言や遺品などを集めて公開している。野戦病院の様子や、両手を負傷しても工務店を起こした元大工さんの話、失明しても道具を工夫して描いた書などが、心を打つ。事務局長の浅沼康成さんは「労苦はもちろんのこと、家族の支えや生き抜く力強さを、後世に伝えたい」と話す。
海外で戦死した身元不明の数十万人が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑では、彼岸を前に花を手向ける姿もあり、命と平和の尊さをあらためて実感した。(武居智子)
2011年9月17日(土曜日)掲載分
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