東京ほっとコラム



名主の滝公園

2015/01 場所、風景(23区エリア / 北区)

五十年ぶりに「名主の滝」にいった。小学生のころ、祖母に連れられて、滝の下に撒かれる金魚を捕まえるのに興じた思い出がある。王子駅で降りる。駅前は音無川親水公園で、王子は武蔵丘陵の淵なので、昔から水が豊かだった。駅からしばらく行くと、王子稲荷がある。江戸時代から有名な関八州(正しくは東国三十三ケ国)の稲荷総社である。狐の「お穴さま」をのぞく。
少し歩いて「名主の滝公園」がある。安政年間自邸の庭を解放した名主畑野孫六の心意気を継いで、北区はここを無料で開放している。
目指すは、四つの滝である。池のある公園、庭園は多いが、滝まであるのは、なかなかにない。よくしつらえられた庭を進んでいくと、あれ、滝はあるけど涸れている。冬涸れ、と思ったらどっと滝が落ち始めた。滝にも勤務時間があるらしい。とりわけ男滝は勇壮である。懐かしい記憶がよみがえってくる。
今は、まだ冬。桜の季節は飛鳥山からまわるのもいい。

(東京都 野上卓)


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あじさいにはアスカルゴ?

2014/06 場所、風景(23区エリア / 北区)

先日、あじさいを観に飛鳥山公園に行ってきた。JR王子駅前から飛鳥山にかけての線路沿いに、いろんな種類の色とりどりのあじさいが咲き誇っていた。目線の高さほどに植えてあるのでそぞろ歩きの観賞にはちょうどよい。いつもは電車の窓越しにしか見てないが、まじかで見るとやはり違う。目に飛び込んでくる鮮やさが違う。
春はさくらの花が、梅雨時にはあじさいが私たちの目を楽しませてくれる。草花の律儀な営みに思わず感謝。
あじさいを観終わったあとは楽しみにしていた移動式エスカレーター「アスカルゴ」に乗って山頂を目指す。形が「かたつむり(エスカルゴ)」に似ているのと「飛鳥山」から作られた名前みたいだが、確かに動きはかたつむりのようにゆっくりだ。ここでサプライズがあった。車内の音声案内が女優の賠償千恵子さんだったのだ。なんでも地元出身だとか。
飛鳥山にはあじさいとアスカルゴがよく似合う。

(埼玉県 田苗忠勝)


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王子 飛鳥山公園の想い出

2013/06 場所、風景(23区エリア / 北区)

飛鳥山公園の線路沿いには色とりどりのアジサイが咲きほこり、乗客の目を楽しませてくれています。やはり雨に濡れた風情はいいものです。春は桜、梅雨時はアジサイと飛鳥山は目に優しい季節の花々を私達に届けてくれています。
飛鳥山公園は、まだ娘(名前はアスカといいます)が小さかった頃、初めて二人で出かけた処なんです。SLの前で転んでは泣き、蟻の行列を見つけては驚き、二人並んで好きなマックのポテトを食べたんです。飛鳥山の花々に目を奪われるたび、この遠い日の出来事を想い出してしまいます。
毎年毎年、いろんな人達のいろんな想い出を抱えながら、変わることなく季節の花を咲かせてゆく、そんな公園です。
アジサイを見に、そして想い出を残しに飛鳥山公園を訪れてみませんか。

(埼玉県 田苗 忠勝)


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赤門、青門のある風景

2013/05 場所、風景(23区エリア / 北区)

先日、初めて岩淵水門を見に行った。荒川の流水量を調整するために作られた新(青)旧(赤)の水門だ。JR赤羽駅から東口の商店街を抜け、水門を目指す。20分程歩いて着いた荒川土手の上から目に入ってきたのは鮮やかな赤と青の水門だ。近くまで行ってみると、流水量を調整するだけあってさすがに大きい。河原では家族連れ、若者達のグループの歓声が聞こえてくる。土手の上ではサイクリングを楽しんでいる人もおり、それぞれ思い思いに楽しんでいる。私はといえば広い土手に寝転がって、読みかけの単行本を広げた。荒川、隅田川、新河岸川を抱える広い川幅で遮るものがないため風も心地よく、まだ柔らかい日差しと相俟って大らかな気分になる。見渡せば360度の視界だ。スカイツリーもくっきりと目に入る。すっかりこの場所が気に入った。次回は、途中で見かけた小山酒造で正宗でも買って一杯やるのもいいかもと、一人ほくそ笑む。

(埼玉県 田苗忠勝)


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田端の「太郎湯」

2013/05 場所、風景(23区エリア / 北区)

子を思ふ「太郎湯」の名は回天の搭乗員の母が名付けし
この短歌は、5月12日に東京歌壇で岡野弘彦先生に特選をいただいたものである。
「太郎湯」は北区田端にあった。田端は私の生まれた町で、戦前は文士村、谷中根津にはかなわないが、古い東京も残っていて、小さな旅をしている人にも会う。駅を降りると目の前に文士村記念館があるが、そのまま切り通しのあいだを二三分進むと、そば屋「福寿庵」があり、その裏に「宗湯」という風呂屋がある。経営がかわってしまっているが、そこがもと「太郎湯」である。
塚本太郎は学徒として海軍にはいり、人間魚雷回天に乗って昭和二十年一月に戦死した。その母親が亡き長男を偲んで、自宅のわきに風呂屋をつくり「太郎湯」と名づけ、高い煙突を立てて「太郎湯」と息子の名を掲げたのである。
名前は消えたが、その煙突は今でも残っていて、風呂屋の裏手からわずかに見ることはできる。戦争の記憶がそこにある。

(東京都 野上卓)


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