2016年
(平成28年)
03月01日
(火曜日)


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「東京深聞」が新しく生まれ変わって新登場!
 今回から小生・泉麻人が “絶対責任” 編集のもと、このコーナーを引き継ぐことになりました。よろしくお願いいたします。
 さて、そもそも僕は子供の頃からのバス好きで、もう随分前から路線バス乗り歩きのエッセーなどを書いてきた。しかし、ちょっとうっかりしているうちに東京周辺のバスの事情も変わってきた。そんなわけで〈大東京のらりくらりバス遊覧〉なんてタイトルのもと、久しぶりにじっくりとバスに乗ってみようと思う。もちろん、ただ乗ってりゃいいってもんではなく、途中下車した町を歩いて散歩エッセーにまとめるのだ。

 で、初っ緖に選んだ路線は東京スカイツリーのお膝元、押上駅前から出る墨田区内循環バス。ワンコイン(100円)で乗れる、いわゆるコミュニティーバス。通常の路線バスは最近どんどん区間が短縮されたり、本数が少なくなったり…の傾向にあるけれど、コミュニティーのジャンルは面白い路線がけっこう増えている。

 ちなみにこの循環バス、北西部、北東部、南部と3つのルートがあるのだが、今回乗るのは前の2つ。路線図を一見すると、いかにもバスマニア心をくすぐる裏道的なコースが描かれている。


そう、毎回相棒として、これまでも何度かコンビを組んでいるイラストレーターのなかむらるみさんに御同行願う。バス車内は、彼女が研究対象にしている渋いおじさんの宝庫でもある。 今回のスタート地点となる墨田区内循環バスの駅「押上」にて。正にスカイツリーの真下。
 午前10時過ぎ、「立花」の方向幕
(バス通は行先表示をこう言うのだが、もはや電光掲示だから幕ではない)を掲げた北東部ルートのバスに乗った。
 一つ目の停留所は飛木(とびき)稲荷神社入口。これも地元の人しか知らなそうなローカルなネームだが、ナレーションで後ろに付く「アレルギー内科の○☓医院」なんて案内がいっそうコアなムードを醸し出す。
 程良く狭い実舟たから通りに入って、下町人情キラキラ橘商店街入口。オカズの立売り屋が並ぶ濃厚昭和風味

の商店街だが、まだこの時間はあまり店開きしていない。
 しかし、このバスは踏切をよく渡る。調べたらどれも同じ東武亀戸線のようだが、その沿線の東あずまの駅前を横切る。
 東あずま――もちろんアズマアズマと読むわけではなく、上はヒガシで下の漢字は吾嬬。このあたりの町名、立花や先の商店街の橘も含めて、日本武尊(やまとたける)神話に由来する歴史がかった地名らしい。
 武尊が三浦半島の走水(はしりみず)の

沖あたりで嵐に遭った折、妃の弟橘 (おとたちばな)姫が海に身を投じて荒波を鎮めた。姫の召物が流れ着いたのが、このバスも通りがかる吾嬬神社の地なのだという。

 横須賀の先の走水と墨田区あたりとはかなり距離感のある話ではあるけれど、ともかく吾嬬とか橘(立花)の地名には、なかなか大そうな伝説が絡んでいるのである。

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墨田区だけに、どこからみてもスカイツリーがそびえ立つ風景。
  そんな一角の立花大正民家園入口でバスを降りると、湾曲した道の背景にスコンといい感じでスカイツリーが立っている。
バスのルート内では、ほぼどこからみてもスカイツリーの姿が確認できます。かつての東京タワーもこんな感じだったのでしょうか。

 この辺でお気づきかもしれないが、このバスは他のルートも含めて「入口」名義の停留所が妙に多い。

 葦(あし)などの草が繁った野趣な中川の岸辺の道を歩いて、けっこう「入口」から離れた大正民家園を訪ねた。  川より低い所に前庭を携(たずさ)えて趣のある古民家が建っている。大正6年建築の小山家の住宅。村の時代に名主を務めていた家らしい。時間外ということで内部には入れなかったけれど、庭の草深い所に“隠れキャラ探し”のように七福神の像が置かれているのが面白い。

 さらに、この家の裏路地の方へ歩いていくと、中川湯なんて銭湯をはじめ、迷路状の道づたいに古物件が点々と残っている。

 ぐるりと歩きまわって、先のバスの停留所を探した。
 2つばかり先の立花四丁目で再乗車、東墨田から八広の方を通って、押上駅へと戻ってきた。
「大正民家園」の前でパチリ。本来は建物の中も拝見できるのですが、残念ながら午後からの解放とのこと。中でごそごそと準備されている音に、後ろ髪を惹かれながらも退散。

スカイツリーの悩みは、記念撮影には向かないこと?

 次の北西部ルートを待っていると、向こうのスカイツリー(ソラマチ)の玄関先で学ランのグループが自撮り棒を使って記念写真を撮っている。地方から修学旅行で来た高校生ってとこだろうが、背後のスカイツリーを入れこむのに苦労している様子だった。

 北西部ルートのバスは曳舟川通りを北上していく。電柱に「橘や」という質屋の看板が目につくけれど、この看板は何度か観ている映画「下町の太陽」にもよく写りこんでいる。

 倍賞千恵子のヒット曲をもとにした昭和38年の映画だが、当時スカイツリーの所に広がっていた貨物線や曳舟駅横の資生堂の石鹸工場なんかが出てきて興味深い。
 八広小学校の所を左折して鐘ヶ淵通りに入っていく。窓越しに道路の拡幅工事の様子が確認できるが、鐘ヶ淵の駅が近づくと立ち退きが進んでいないのか、昭和30年代からそのまま変わっていないような商店が軒を並べている。ま、物見遊山者としては、このまんまの方が面白いけれど…。
地元のおじさん方に愛されそうな佇まいの居酒屋さん。
マンモス団地にひっそりと立つ榎本武揚の銅像。
 墨堤通りに突きあたった所の榎本武揚像入口、の停留所でバスを降りた。
 榎本武揚は戊辰戦争の折、蝦夷地の箱館(函館)で最後まで抗戦した旧幕派の志士として知られるが、それでも坂本竜馬や勝海舟級のポピュラーな歴史人ではない。そのレベルの人物の像がバス停名に採用されちゃうあたりもローカル風情があっていい。車中で隣り合った中年女性は、その榎本像のすぐそばに住んでいるらしく、「縁のあった北海道の方角を向いて立っている、って話ですよ」なんて豆知識を教えてくれた。
 榎本像の見物は後まわしにして、少し北方にある多聞寺へ向かった。ここは以前、東京の七福神巡りをしているときに訪ねたことがあったが、1700年代くらいの築という芽吹きの山門がとても良い。
 さらに、そこに至る道も、年季の入った蕎麦屋や酒屋、米屋…いかにも古い参詣道という雰囲気で気に入っている。昼飯はその「坂村」って蕎麦屋にしようか…ぼんやりプランしていたのだが、前の道は工事中、そのせいもあるのか、店には休業日の札がかかっていた。
珍しい茅葺屋根の山門を携える「多門寺」に到着。バス停から、ここまでの道のりも、風情があって、散歩には最適なルートです。
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団地のなかに突然あらわれる榎本武揚像。銅像の視線を地図の上で延長すると、東京タワーがあるらしいのですが、結局何を見据えているのかは謎でした…

 榎本武揚像は、白鬚東アパートという都営のマンモス団地の一角に建立されている。

 墨堤通りの隅田川の側に十数棟が堤防のように続くこの団地、昔は鐘紡の敷地の一部だったのではないだろうか?
 榎本の銅像は大正2年の建造らしく、緑青(ろくしょう)が吹いて、なかなか年季が感じられたが、アレ? 彼が向いている方角、南の方ではないか… どう見ても北海道の側ではない。あの御婦人「北海道に尻を向けて別れた…」みたいな俗説をカン違いしたのかもしれない。

 そして、この銅像が置かれた場所、大正当時は向島梅若神社という社の境内だったようだ。

全長1km以上はあると思われるマンモス団地。高島平のように広大な敷地というよりは、とにかく横の距離が果てしない。
庶民の味方「カタヤマ」の絶品ステーキに舌鼓!

 昼飯は、横長の団地棟がようやく途切れたあたり、白鬚橋東詰の「カタヤマ」で肉をいただくことにする。「下町の洋食屋」の旗が店前にずらっと出たここは、安くて旨い向島のステーキ屋として以前から知られている。
 12時過ぎのランチ真っ只中の時間にしては並んでないな…と思ったら、店の並びの待合室に導かれた。芸能人のサイン色紙が展示されたこんなスペース、いつ頃できたのだろう?


下町のお肉の聖地「カタヤマ」に到着。結局バスに乗らずに徒歩で移動しました(笑)

 メニューを開くとリーズナブルなものばかりでなく、百グラムで数千円くらいの値を付けた高級肉も用意されているようだが、ここのウリモノは「駄敏丁(だびんちょう)」カットというもの。味は良いがスジが多くて食べにくかった「らんいち」と呼ばれる部位のスジをうまく取り除いたものらしい。

 なかむらさんや編集者、カメラマンはその駄敏丁カットのステーキランチを注文していたが、僕はついついカキのバター焼のセットに目を奪われ、ここまできてステーキを食べなかった。

 セットに入っていた牛肉のショウガ焼もおいしかったけれど、やはりステーキにするべきだったかもしれない。

ランチで注文した駄敏丁カットのステーキ。泉さんは、どうしてステーキにしなかったのでしょう(笑)

彼らの鉄板皿にジュワッと載った、割と厚味のあるステーキを見て、ちょっと後悔した。
 そして、あたりを見まわすと、「下町の太陽」の頃に青春を迎えていたような世代の男女がダイナミックにステーキをパクついている。帰路のバス車内のお年寄りが全員「肉食系」に見えた。
帰路はバスを途中で降りて徒歩で探索しながら押上に。大通りでなく、路地の裏へ裏へと進んでしまうのは、街ぶら撮影隊の職業病?
いくらなんでも、路地裏過ぎるような気もするのですが、工事現場の迂回路がココだったんです…。
白鬚橋付近にある「日本で唯一のきびだんご専門店」。岡山の吉備団子ではなく、穀物の黍(きび)で作られた昔ながらの黍団子なんです。
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同行していただいたイラストレーターのなかむらるみさんとパチリ。お疲れ様でした。
泉 麻人

泉 麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。



泉 麻人
なかむら るみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。