2016年
(平成28年)
05月11日
(水曜日)


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 浅草寿町を始(終)点にした都バスが3路線ほどある。え、寿町ってどこ? かというと、地下鉄銀座線の田原町の所。ここ、雷門通りを使ってぐるりと周回しやすいので、バスの始点に採用されたのだろう。
 銀座線の口を出た所においなりさんやのり巻、ソース焼そば、なんかをやる古い大衆食堂があるけれど、そのすぐ先の停留所から〈足立梅田町〉行のバスが出る。〈草41〉というこの系統は古い。手元にある昭和32年のバス路線表にもう載っている、都バス古参路線の一つ(当時は浅草橋発のものもあった)。そして、終点の足立梅田町ってとこも、一般的にはなじみのないレアな行先だろう。
生憎の空模様となった今回の取材……。どうやら担当編集者と泉さん共に「雨男」ということが判明し、今後の撮影にも暗雲が立ち込めている?

 さて、待合わせた場所がアーケードだったから良かったものの、今回もまたぞろ雨降りである。実は僕、以前雑誌でローカルバスの紀行を連載していたときも、6,7割方悪天候だった。なんてことを前回明かそうとする前に、担当編集のT氏が「雨男なんですよ、オレ」と告白した。今後も天候はあまり期待しない方がいいかもしれない。
 国際通り(ビューホテル以前にあった浅草国際劇場に由来する)から言問通りに入ったバスは、鬼子母神のある入谷の町を西進する。白く曇った窓を擦って外景を眺めると、入谷食堂、ときわ食堂…食堂名義の大衆的な料理屋が目につく。乗客も、大阪の下町にいるようなラフな格好のオッチャンが多い。
今回の出発地点である田原町はお隣の稲荷町から続く仏具店が多い。また付近には調理道具の問屋街である「合羽橋」もあります。

 鶯谷の駅前陸橋の下をくぐって上根岸、東日暮里の繊維問屋街へと進む。その先のバス停、大下は、ほとんどの人がオオシタと読むだろうが、これはオオサガリ。昔の字(あざ)の名称なのだが、こういう古地名が残されているのも歴史深い路線ならではの妙味だ。
 オオサガリを過ぎると三河島。韓国料理の看板が並ぶ駅前商店街の景色は、新大久保の町並をちょっと地味にしたような感じでもある。そして、都電荒川線が交差する町屋の駅前に差しかかる。沿道の商店も随分新しい雰囲気になったけれど、もう15年くらい前、初めてこの路線バスに乗ったとき、車窓越しに見つけた靴屋の看板のことが忘れられない。〈流行ヘップと通勤靴〉なんてキャッチフレーズが記されていたのだが、ヘップの意味がよくわからない。調べた末、「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが履いていた、いまでいうミュール風のラフなサンダルの俗称で、公開された昭和20年代の終わり頃に流行したらしい。町屋あたりの靴屋さんが看板に掲げるほど「ヘップ」のフレーズも流行したのだろうが、その靴屋ももはや見当たらない。  やがて、通りの名にも付いている尾竹橋で隅田川を渡ると、千住桜木。ここで途中下車することにしよう。
2016年
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05月11日
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場所によって本数が変わる“お化け煙突”の残滓
 ちょうどバスを降りた真ん前に、簡素な小屋があって、そこに交通安全運動の係をする御老人(すべて男)が5,6人、こちらをにらみつけるように陣取っていてハッとした。しかしこの沿道、平屋建の面白い看板の店が多い。古びたトタンの看板に「金網」と記した店、雛人形店、さらに“創業明治31年 流行の兆し! 世界の葉巻取扱ってます”とキャッチを幌看板に掲げたタバコ屋…訪ねて取材を試みたいところだが、どこも建物だけ残して休業しているようだ。
 そんな道ぞい、さっきバスで渡った尾竹橋の橋詰、帝京科学大学の玄関先に昔この近くに存在した“お化け煙突”の残骸とミニチュア模型が飾られている。
 お化け煙突―東電千住発電所の4本の煙突のことで、(上から見て)平たい菱形状に配置されていたので、(横から)眺める角度によって煙突が重なり3本、2本…と数を変える。大正15年に建設されて、東京オリンピック前年の昭和38年まで稼働(39年夏撤去)した。
バス停前で交通安全運動を見回るおじさま方がお出迎え。雨だからみなさん小屋から出ないのですかね?
僕の家は東京でも西の方だったが、松戸(八柱)の家の墓に墓参りに行くときに乗る常磐線の車窓から眺めた記憶がある。さっきバスで通り過ぎた三河島のあたりだったはずだが、当時は周辺に工場の煙突が多かったので、そういうのも数えて、「7本だ、8本になった…」と、弟と一緒にハシャいだ印象がぼんやり残っている。
 火力発電所と隣接する元宿小学校の跡地にやってきた帝京のキャンパス、こういう産業遺跡を玄関に設置するとはなかなか感心な姿勢である。そういえば、4本煙突のミニチュアの向こうに、ちょうど東京スカイツリーが入りこむはずなのだが、本日は雨で霞んでまるで見えないのが残念である。
「流行の兆し!」と葉巻押しの看板。むしろ時代は禁煙へと進んでしまいました……。 「千住桜木」で下車して、千住の“お化け煙突” の記念碑に向かう途中。地名の桜木の名残っぽい桜がチラホラ見えますが、これは後から植えられたものだそう。

 このキャンパス裏手の墨堤通りの方へ回りこむと、素朴な赤鳥居を並べた元宿堰稲荷という神社がある。この境内にも〈旧千住四本煙突守護社〉と刻んだ木碑が立っているが、もう一つ〈「いつでも夢を」ストーリーのまち〉と刻んだのがある。橋幸夫と吉永小百合のデュエットで大ヒットしたあの曲、昭和38年に日活で映画化されたときのロケ地がすぐ先の荒川に架かる西新井橋の周辺だった。お化け煙突を背景に木橋の西新井橋を吉永小百合が渡るシーンなどが描かれている。 “お化け煙突”を輪切りにしたモニュメントの前で。このアイデアって、かなり斬新だと思うのです。 お化け煙突のミニチュアを発見。これは4本に見える位置からの撮影です。

“お化け煙突”が3本に見える位置からも撮影。その他の本数に見える角度は、植木などが邪魔でできませんでした……残念。
元宿堰稲荷神社を参拝。かつては旧千住四本煙突守護社とも呼ばれていたらしい。
橋幸夫と吉永小百合のデュエットで大ヒットしたあの曲の名が。映画のロケ地として使用されていたからでしょうね。
懐かしの“ミルクホール”で、ほっと一息
 元宿堰稲荷の向かい側に〈コーヒー〉と白のれんを掲げた、木造2階建の渋い喫茶店が見える。突き出し看板には〈ミルクホール〉とも記された「モカ」というこの店は、以前に入ってお話を伺ったことがある。ちょっとした食事メニューもあったはずだから、ここでランチをいただくことにしよう。
いかにも人の良さそうな初老の男が一人で店をやっている。昭和36年に先代がここで開業、2階に暮らしていた店主は幼いころにお化け煙突を目近に眺めた記憶がある。とくに、壊していたときの印象が強い、と以前に伺った。ま、お化け煙突よりは後の時代になるけれど、この店、まだTVゲーム(麻雀)を埋めこんだテーブルが残っているのが懐かしい。
なんとも懐かしいの雰囲気を纏った喫茶店。「ミルクホール」の呼び名は先代がそれ以前の時代をなつかしんで付けた…と以前に伺いました。
 メニューもクリームソーダ、みつ豆、いそべ巻…甘味も含めて昭和の大衆食堂っぽいのが並んでいるけれど、そんなレトロな食堂気分に合わせて、計4人でナポリタンとベーコンピラフってやつを2つずつ注文した。
 さて、千住桜木でかなり長居をしてしまったが、先の交通安全運動の老人衆のいる小屋前の停留所でバスを待つ。待っているとき横道を覗き見ると、外壁の一角から柳がにょっきと突き出すように伸びた奇妙な家(小料理屋)が目にとまった。
テーブルが麻雀ゲームの筐体。インベーダーゲームのブームも懐かしいですよね。あの当時は100円玉の生産を急遽追加するなど、社会を巻き込んだ現象でした。
喫茶店の定番と言えば「ナポリタン」は外せないでしょ。想像通りの味は抜群の安定感です。 家の軒下から生えている街路樹。よく見ると増築部分だけ、干渉しているみたいです。  
2016年
(平成28年)
05月11日
(水曜日)

思ったよりも赤くない?! 赤不動を訪ねて
 再乗車したバスは、かつて吉永小百合も渡った西新井橋の新橋を渡って、一旦右折してから左手の狭い道に入っていく。入ってすぐのバス停は放水路土手下。荒川を放水路と呼ぶ人も少なくなったいまどき、貴重な停留所といえる。そして、次もこれまた素朴な赤不動。田舎バスの気分昂まる赤不動で降りて、その本拠に立ち寄っていこう。
 バス通り右手の横道を入った先にある明王院。このお寺の別称が赤不動なのだ。目白不動や目黒不動のように方角に関係した色ではなく、また本尊の不動の色が真っ赤なんてことでもなく、不動を祀った本堂の朱塗りの柱や欄干に由来するらしい。
 とはいえ大きな屋根は緑色、壁も白だから、一見してあまり赤のイメージは伝わってこないが、近くに「不動製パン」なんていう名を冠したパン工場があるのをみると、この赤不動、かなり古くから地域に浸透している物件と思われる。また、梅田の地名も、この寺の寺号・梅林山が源という。
 この三つ先が足立梅田町の終点。バスの折り返し場のまわりにはコレといった店もない、寂しい場所だ。もう2,300メートルも行けば東武線の梅島の駅なのだが、そこまで行かず寸止まりになっているところがマニア心をくすぐる。しかし、そんなマニアのために都バスが路線を設定するわけはない。冒頭で書いたとおり、昭和30年代初めから存在する古い路線。昔の地図で調べると、このすぐ先に田辺製薬の大きな工場があったのだ。その従業員が主なターゲットになっていたのかもしれない。
今回もバスの終着駅「足立梅田町」にて、バスが転回する勇姿を堪能。ここまできたら、東武線の「梅島駅」まで伸ばしてくれてもいいような……。
 田辺といえばアスパラ。♬アスパラでやりぬこう~ 弘田三枝子がパンチの効いた声でCMソングを歌っていた頃の集団就職の工員たちが、仕事帰りにお化け煙突の町を通ってこのバスで浅草へ遊びに繰り出す光景なんぞを、一人勝手に想像した。
赤不動の地名から名付けられた?「不動製パン」の工場脇を抜けて、赤不動へ向かう一同。 赤不動に到着。撮影隊の第一印象は「思ったよりは赤くない……」でした。
せっかくなので、東武線の「梅島駅」まで足を伸ばした。撮影終了と同時に晴れ間が見えたのは、雨男ゆえの試練なのでしょうか。
泉 麻人

泉 麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。



泉 麻人
なかむら るみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。