2016年
(平成28年)
07月13日
(水曜日)


ホンモノの東京新聞はこちらから


 かつて品川区の内陸の広い一帯に「荏原」という町名が付いていた。いまも首都高の荏原出入口とか荏原中延とか、いくつかの場所にその名は残されているが、荏原町というそのものずばりの駅がある。しかし、あそこは池上線だったか、目黒線だったか…あの辺の東急の線は混沌としていてよく迷うのだけど、正解は大井町線。今回はこのちょっと込み入った場所にある荏原町から蒲田方面へ行くバスに乗ってみようと思う。
 荏原町の駅で降りると、線路の北側に法蓮寺という寺がある。今回立ち寄る予定の池上本門寺と同じ日蓮宗のお寺だが、ここは門前の解説板に「日詮上人という住職が鷹狩りの途中に立ち寄った徳川家斉と相撲を取って負かした」なんて、おかしなことが書かれている。
 さて、乗車する東急バスの停留所は「荏原町駅入口」といって、この寺前の道を南の方へちょっと行った所にある。駅前が狭いので、少し離れた所を循環するコースになっているのだ。バス停に向かう途中、少し横道に外れた所の、元・薬屋(いまは何かの事務所になっている)の店先に年季の入った“象のサトちゃん人形”を発見、蕎麦屋と指圧マッサージの看板がぽつんと見える、駅裏風情の停留所から〈蒲15〉系統のバスに乗った。

荏原町駅前は、ちょっと牧歌的な雰囲気を纏い、生活しやすそうなエリアです。 荏原町駅前の商店街。今回のバス停はこの商店街の先に。

 ほぼいつも乗客の主体はお年寄りだが、このバスはとりわけ高齢度が高い。我々を除けば、平均年齢80代くらいになるのではなかろうか…。車窓に見える街灯に「馬込三本松通り」と出ているけれど、やがて三本松という田舎風の停留所に停まった。すぐ向こうは環七をわたる陸橋(新馬込橋)。昔、この崖際あたりに三本の名松があったらしい。馬込に暮らした画家の川瀬巴水の木版画「馬込の月」にも描かれたが、戦時中に空襲の標的にされるのを警戒して伐採された(先に枯れた木もあった)と聞く。  といった旧跡も存在するように、このバス通りは古い。とくに新幹線が上を走る馬込橋(本来は下を流れる小川の橋)と第二京浜を越えた先から道はいい感じに湾曲して、右手に「馬込橋食糧」なんていう終戦直後調の看板を掲げた古い米屋が見える。  長遠寺前、万福寺前…のどかな寺名義のバス停を通過、僕らは馬込南台で途中下車した。

すっかり色あせた「サトちゃん」を発見。懐かしさから思わず記念撮影を。

スタート地点の「荏原町駅入口」停留所は、少し入り組んでいて危うく素通りしてしまいそうに…。
文豪や画家に愛された街を訪れる。

 この辺、道は丘陵の尾根を通っているので、両側の横道の口に〈16%〉とか〈18%〉とか、かなり急勾配の斜度を記した坂の交通標識が出ている。前回の〈動物注意〉に続いて、今回は〈18%〉の坂標識と記念写真!やがて下り始めるこのバス通りには「臼田(うすだ)坂」の道標が立っている。
「坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起ったといわれている」

 あまりにベタな解説がおかしい。へへっと一笑に付して、ふと横目を向けた家の表札に「臼田」とあって、なるほど…と思った。

 このあたりから大森の山王にかけて、作家や画家が集まって住んだことから俗に「馬込文士村」の呼び名がある。川端康成や石坂洋次郎の旧居跡プレートを見掛けたけれど、調べてみると彼らはほんの数年ばかり居ただけで、つまりビッグネームに頼って馬込文士に含まれている人物もけっこういる。ピークは大正の震災の頃から昭和1ケタの頃にかけてだ。
 臼田坂下を右に入った所に立派な記念館とアトリ


傾斜角度は驚愕の18度。前回のたぬき標識に続く『標識シリーズ』第2弾! 傾斜角18度の坂を見下ろすと、こんな感じの急勾配。

エが保存された川端龍子(りゅうし)は、明治の終わりに近隣の入新井に来て以来、大正9年から80歳で亡くなる昭和41年まで臼田坂で暮らした生粋の馬込人といえる。
 記念館に掲示された龍子の年譜を見て、同行の東京新聞のT君が声をあげた。若い頃、国民新聞社に勤務しながら挿し絵を描いていた…とあるが、国民新聞は本紙の前身の一つ、つまり龍子は彼の先輩にあたるのだ。
 龍子の画風は幅が広い。重厚な日本画からコミカルな風刺センスが感じられるものまで。カワウソがコイなどの獲物を川岸に並べて悦に入る…「獺祭(だっさい)」と題した絵画が目に残った。
 向かいには、庭を携えた旧居とアトリエがある。凝った石畳の通路の先に長屋風の待合場を備えた母屋があって、その裏方に残されたアトリエの棟は昭和戦前からの古い建築という。広いガラス窓越しに見える板の間で池上本門寺の龍の天井画を描いている途中、老衰で死去したという。天井画は未完成のまま、本門寺の大堂に掲げられている。

川端康成と石坂洋次郎の旧居跡プレート。よく読んでみると、住んだ期間はそれほど長くないような…。 川端龍子(りゅうし)邸の母屋へと続く、長屋風の待合場にて。 川端龍子(りゅうし)邸の庭。米軍機の爆撃によってできた穴から、水が湧きだしただめ「爆弾散華の池」と名づけられた。

2016年
(平成28年)
07月13日
(水曜日)

池上本門寺にて、昭和のスターと一緒に記念撮影 ?!

 臼田坂の通りに出て、廃墟化した古風なパン工場を横目に一つ先の大森日赤前でバスを待つ。その名はすぐ近くの日本赤十字病院のことだが、昔から各所に存在した日赤病院をナンタラ日赤って感じで地名を入れて使ったバス停は日本各地に多い。
 そんな大森日赤前のバス停、二又に分かれた矢印に〈経路確認〉〈方向確認〉と記した奇妙な警告板が付いている。一瞬ナンだ?と思ったが、そうか、これはバスの運転手に向けたものなのだ。バスのルートにはこの先の丁字路を左折する大森行と右折する蒲田行がある。両者をかけもちする運転手がウッカリまちがえたりしたことがあったのだろう。大森行の方が圧倒的に多いので、危険なのは蒲田行の方と思われる。
 なんてレアーな蒲田行に乗って、池上通りを西進、本門寺前で降車する。出桁(だしげた)造の軒下に手洗いの井戸が残る萬屋酒店の辻を過ぎて、呑川の橋を渡ると正面に本門寺境内へ上る厳しい石段が控えている。
 加藤清正が寄進したというこの参道口の石段、此経難持坂(しきょうなんじざか)という何度聞いてもおぼえられない難解な名が付いている。

 96段の段数は法華経の宝塔品の詩句数にちなんだというが、その世界の知識にうとい僕は96段のありがたみはよくわからない。この急勾配で96段ってのは都内では珍しい。そして、こういう石段をひいこら上っていると、僕の世代は70年代スポ根ドラマのウサギ跳び石段特訓のシーンを思い浮かべてしまう。
 境内に入って、まずは仁王門の先の大堂に掲げられた龍子の天井画を眺めたい。これまで何度も来て、拝観したことはなかったが、堂に入ってすぐ上を見上げた天井に青光りした龍の顔が描かれていた。未完成というと、鱗がほとんど描かれていないあたりか…しかし、これはこれで納得できる。
 広々とした境内、マメに散策していたらきりがないので、いつも欠かさず立ち寄るポイントへ行こう。五重塔の奥の墓地にある力道山の墓だ。ただの墓石だけなら何度も訪ねる気にならないが、墓前に建立された力道山の胸像がなんとも魅力的なのだ。もう都合5度目くらいになるけれど、おなじみの胸組みポーズをして写真に収まった。さらにもう一つ、石段際の一角に建立された日蓮上人像。険しい顔つきをして、数珠を握った右手を高く挙げたその佇まいは力道山に負けず劣らずインパクトを放っている。


バスの運転手に向けた警告板。蒲田行きのバスは極端に本数が少ないため、この先の分岐点で間違わないようにという注意だと思われます。 本堂への石段は96段なのだそう。散歩の終盤にこの段差はなかなか厳しいものが…。 ようやく本堂へ到着。この本堂の天井には、先ほど立ち寄った川端龍子(りゅうし)が描いた未完の竜が飾られています。
力道山の銅像の前にて、同じポースで記念撮影する泉さんとなかむらさん。

日蓮上人像の迫力は一見の価値あり。かなり強そうな雰囲気です。
2016年
(平成28年)
07月13日
(水曜日)

散歩の最後は蒲田の名物“羽根つき餃子”とビールで乾杯!

 くずもち屋が点在する参道商店街を歩いて、池上駅前から再びバスに乗って終点の蒲田駅へ。時刻はそろそろ夕刻の5時。これまで昼どきの散歩を続けてきたが、今回は“シメに蒲田の餃子で一杯”という重要なプランがあった(この辺特有の黒濁の温泉銭湯と組み合わせる手もあるのだが…)。
 蒲田餃子の名店はいくつかあるけれど、僕の贔屓は「你好(ニーハオ)」。しかしこの店は京急蒲田近く、バス終点のJR蒲田(しかも西口)からはかなり遠い。時折、道案内に不安になりながら、ようやく你好本店に辿りついた。すぐ向こうの京急の踏切も消えて高架線に変わり、平屋のこの店も、店内は随分シャレた感じになった。
 そういえば、この夏上映されるゴジラ映画の新作「シン・ゴジラ」、東京湾から上陸してまもなく蒲田の町で暴れまくるのだ。

参道商店街にてお土産のくず餅を購入するなかむらさん。

池上駅前で、恒例のバスの転回を拝見してから、最終地点の蒲田へ向かう一行。 お目当てのお店「ニーハオ」は駅の反対側にあるため、さらに移動中。今回は、やたらと階段を登っているような…。
ようやく新装開店した「ニーハオ」の本店に到着!

蒲田といったら“羽根つき餃子”。ビールとの相性は、言うまでもなく抜群です!

イラスト:なかむらるみ

泉 麻人

泉 麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。



泉 麻人
なかむら るみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。