2016年
(平成28年)
12月14日
(水曜日)


ホンモノの東京新聞はこちらから


 常磐線(千代田線)の金町へやってきた。ふつうここに来たら、京成電車に乗って柴又の帝釈天にでも行くのだろう…と思われるかもしれないが、われわれの進路は反対の北だ。この連載初登場の京成バスに乗って、水元公園の方面をめざす。

 進路は北だが、乗車する戸ヶ崎操車場(あるいは八潮駅南口)行の〈金61〉系統のバスは南口から出る。常磐線のガードをくぐって北側へ出ると、東金町4丁目の二又を左方の岩槻街道へ入っていく。古い街道だが、拡幅工事が進んで、あまり昔の建物は見られない。ただ、水元公園の手前にちょっとおもしろい停留所がある。

今回の出発点である京成バスの「金町駅」。

「しばられ地蔵」
 バスの女声ナレーションで聞くと、ひときわ印象に残る。さらに、この京成バスのナレーション、こんな気の利いた句も添える。

「しばられて 願いかなえる 地蔵尊」
 一瞬"SMチック"な想像も浮かぶ葛飾水元の地蔵尊。祀られているのはバス通りの北方、水元公園側にある南蔵院の境内だが、そちらへ行く前に、反対側の横道の先に素朴な青果市場がある。朽ちたトタン張りの小屋の一角に野菜の空き箱が雑然と積みあげられた、市場というより、青果物の集積場のような感じの場所なのだが、おそらく周囲に畑が広がっていた頃からの施設なのだろう。

素朴な青果市場の向かいにある「ABS卸売りセンター」。残念ながら法人限定なので、一般の人が購入はできないそう。
2016年
(平成28年)
12月14日
(水曜日)

大岡越前に捉えられたお地蔵様?!しばられ地蔵へお参り

 そんな、ちょっと昔の葛飾っぽい物件を眺めてから南蔵院へ。黒瓦屋根の山門をくぐると、境内には鐘楼や聖徳太子堂も置かれているが、なんといってもメインは、本堂脇の小屋根の下に縄でぐるぐる巻きにされたお地蔵様。この「しばられ地蔵」の発祥には、あの時代劇スター・大岡越前が絡んでいる。

 徳川八代将軍・吉宗の時代。日本橋の呉船問屋の手代(使用人)が荷車に反物を積んで行商にやってきて、この寺の門前でうっかり昼寝。その間に反物を盗まれてしまった。とまぁ、どうってことないドジ商人の失敗談のようだが、ここで取り調べに立ち合った大岡越前、かなり突飛な命令を下す。「泥棒の所業を黙って見過ごした地蔵の罪は重い。ぐるぐる巻きにして市中を引きまわしてやれい!」。

「しばられ地蔵」を祀っている南蔵院の山門。
しばられ地蔵に安産の願掛けをするなかむら画伯。元気なお子さんを産んでください!

 この、いわゆるドSな逸話が「しばられ地蔵」の発端なのだが、それだけではあんまり…ということなのか、以下のような後日談も付く。発見された盗品を手がかりに江戸を荒らす大盗賊団が捕獲された。これはもしや地蔵の霊験ではないか…ってことで越前、寺に堂を建て、縄解きの供養を行ったとさ。めでたし、めでたし。

 取ってつけたような物語はともかく、いまも願掛けで巻かれた縄を解く供養が大晦日に行われる。もちろん、願いが叶った時点で縄を解きにくる者もいるわけだが、多くの人は初詣のときに縄を巻いて放っぽらかしなので、取材で訪れた晩秋から師走の頃は最も巻きが激しい時期ともいえる。

 そんな、ぐるぐる巻き状態のお地蔵様に僕らも縄(1つ¥100)を巻き、願を掛けた。まもなく、出産前の休養に入るなかむら画伯は、しばりにとりわけ力が入っているように見受けられた。

泉さんも地蔵に祈願。叶わなくても大晦日には解かれてしまうのですが…その後に全ての願いを1本の縄に託して、住職さんが一番縄として結び直してくれるそう。
2016年
(平成28年)
12月14日
(水曜日)

まるでヨーロッパのような景観!大自然に囲まれた水元公園

 しばられ地蔵の裏手をちょっと行くと、水元公園の門がある。大場川から続く小合溜と呼ばれる遊水池の畔に広がる緑地、戦後段々と公園化されて、いまや96万㎡を超える(と、数字を記してもピンとこないが)最大規模の都立公園になった。

 もう何度かこの公園には来ているけれど、武蔵野風のケヤキやシイやコナラではなく、ラクウショウ、メタセコイア、ポプラなどの樹々が主流の森林は一見してヨーロッパっぽい。取材時はラクウショウがちょうどいい頃合いの紅茶色に色づいて、なんだか金町から一気にロンドンのハイドパークあたりにトリップした気分になった。しかし、日や時間帯のせいもあるのか、砧や駒沢など西部の公園ほど犬の散歩をする人の姿はみかけない。

 一方、水辺には釣り糸を垂れる人が目につく。ナニが釣れるのか、おじさんに尋ねたら、「フナにコイ、ウナギ、クチボソ…」
次々と淡水魚の名が挙がる。
「タナゴは少なくなったね、ライギョとかレンコとか外来のどう猛な奴が増えちゃって」

都内で唯一水郷の景観をもつ水元公園。まるでヨーロッパにいるかのような錯覚を覚えますよ。
大場川の給水門。レンガ造りで趣きのあるデザインです。

 ライギョは悪者扱いされているようだが、僕が小学生の頃はまだ数が少なかったせいもあって、西部の落合の方からわざわざ水元公園へ遠征して、ライギョを捕まえたという自慢話をしている奴がいた。

 野鳥カメラマンが陣を取る〈かわせみの里〉という水辺エリアの脇を通って、北西端の門から外へ出ると、すぐ先の大場川にクラシックなレンガの橋が架かっている。現在の車道の傍らに保存されたこの橋は、閘門(こうもん)橋という明治42年(1909)建築の歴史建造物。レンガのアーチ橋としては都内に現存する唯一のもので、正式名称は〈弐郷半領猿又閘門〉という。弐郷半領や猿又はこの辺の古い集落名、閘門とは水門を表わす古い言葉だから、つまりこの橋がかつて大場川の水門の役割を果たしていたのだ。

 古地名の猿又をふと連想させる、指(さす)又(また)のような用具を手にした労働者のオブジェも目に残る(これは明治時代より後年に取りつけられたものらしい)。

 この橋を渡ると北側は埼玉県の三郷市。すぐ先のウナギ屋からぷうんと蒲焼の香ばしい匂いが漂ってきた。先の釣り人が挙げた獲物のなかにウナギも入っていたが、さすがにここで釣ったウナギを使っているわけではないだろう。とはいえ、こういう郊外の水辺の土地に来ると、なんとなくウナギを食べたい気分になる。

 11時半の開店直後に入ったが、あっという間に満席になったから、この辺で評判の店なのだろう。甘目の濃い口のタレが炭火で焼いたウナギによく馴染んでいる。座敷の壁に鳩山邦夫の色紙が飾られていたが、あの人は昆虫愛好家だったから、水元公園に蝶やトンボを探しにきた折に立ち寄ったのかもしれない。

昼食は豪華にうな重。甘目の濃い口のタレが絶品です。
2016年
(平成28年)
12月14日
(水曜日)

葛飾の最果て大場川の水門に到着!

 さて、今回はもう1本お目当てのバス路線がある。ここからさらに西方の西水元の果てにある「大場川水門」へ行く路線。せいぜい1キロちょっとの距離だから歩けないわけではないが、「大場川水門」というさいはてじみた行先を掲げたバスに乗ってみたい。

 来るときに使った〈金61〉の金町方向のバスに乗って、水元公園の停留所まで行く。ここで〈金62〉系統の大場川水門行に乗り継ぐのだ。

 使いこんだサトちゃん人形(そういえば以前、荏原町でも見た!)を店内に飾った薬局の前から乗ったバスは、左折しては右折、そうしてまた左折、右折とアミダクジ状の進路をとって区の北西端の方へ向かっていく。西水元の領域に入ると、宅地の合い間にぽつぽつ畑が目につくようになってくる。そして、終点の大場川水門に到着した。

バス停前にあった昔ながらの薬局には、ちょっと色あせたサトちゃん人形が。よく見るとチリトリに入れられている(笑)。
旅の終着点「大場川水門」に到着。近代的で重厚感に溢れたデザインです。

 バスが停車する折り返し場の先、民家の向こうにゲート状の水門が見える。堤を上ると、中川から分岐したばかりの川幅の広い大場川に、立派なコンクリートの塔に仕切られた水門が設置されていた。旧水門にあたる、先のレンガの閘門橋とはまるでスタイルが違う。いまの水門に趣きはないけれど、上品なレンガ閘門の時代は、流域の田んぼに水が溢れるのも日常茶飯事だったのだろう。ところで、この水門の横の堤の一角に〈ゴルフ練習禁止 国土交通省〉なる警告板が立っていたが、いったいどこにゴルフの練習をするスペースがあるのか? 首を傾けた。

 妙といえばこの周辺、水元園、高砂園、中川園…老人ホームが寄り集まっている。これは予め地図で把握していたことだが、歩いて目にとまったのは、個人タクシー。個人タクシーを玄関に置いたお宅が何軒もある。水門と老人ホームと個人タクシーのある家。独特の景色が印象に残った。

今回の「標識シリーズ」は、水門付近にたてられた「ゴルフ練習禁止」看板の前で。

イラスト:なかむらるみ

泉 麻人

泉 麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。



泉 麻人
なかむら るみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。