ほっとWebHOME > 泉麻人の東京深聞 > ニコタマから行く、崖線名所巡り

2017年(平成29年)9月13日(水曜日)

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 二子玉川から西方の岡本町の崖上の方へ入っていく、おもしろいバス路線がある。僕が初めて乗った90年代の頃は用賀との間を結んでいたが、いまの終点は国立成育医療研究センター、これは昔の国立大蔵病院だ。このバスに乗るべく、東急の二子玉川駅へやってきた。
 バスの乗り場は駅東口の二子玉川ライズの一角。タワーマンションとショッピングモール、公園などが融合した広大なスペース。ひと昔前までは遊園地の二子玉川園(その後はナムコ・ワンダーエッグ)が存在していた場所で、僕の世代はいまだに駅名を二子玉川園、と"園付け"で呼びたくなる。80年代の頃から耳にするようになった"ニコタマ"という呼び方も、いまやすっかり定着した。
 乗車するバスの時間まで、まだちょっと余裕があるので乗り場のちょうど向こう側に見える蔦屋家電のスターバックスで珈琲でも飲むことにした。ここは"家電"といってもシャレた家電商品までインテリアに含めた、いわゆる蔦屋書店の郊外店といったところ。洋書の棚の傍の席で、ちょっとスカしてドリップ珈琲を飲んでいると、向かい側の男がインスタ映えしそうなピスタチオグリーンのパンを皿に載せて、ノートパソコンのキーボードを黙々と叩いていた。
 成育医療研究センター行きのバスは、コミュニティーバスでよく使う小型の車両で、銀に赤帯の東急カラーが可愛らしい。この路線は狭隘な区間を走るので、以前も"コーチバス"と呼ばれる小型車両を使っていた。
 玉川通りを瀬田の方に少し戻って、玉川高島屋の先を左折していくこの道は、かつて玉電の砧支線が走っていた筋である。僕が中学生になった69年の春に廃止されて、その秋に玉川高島屋ができあがった。中耕地、吉沢といったバス停は玉電時代の駅に由来するものだが、もはやわかりやすい鉄道時代の遺構は見られない。
 バスは吉沢の先で右手の山側の方へ曲がっていく。一瞬、向こうの崖地の緑が見えるが、田園調布や野毛の方から、ずっと世田谷の南西の淵に続く崖の線を国分寺崖線(ガイセン)という。野川というか広い意味では多摩川左岸の河岸段丘で、見晴らしのよい崖際は明治時代の後半あたりから、政財界人の別荘が置かれるようになった。
  • 再開発が進む二子玉川のライズ方面。この橋の下がバスロータリーになっています。

  • 泉さんが時間をつぶしていた蔦屋家電に隣接するスターバッスクコーヒー。たしかに意識高い系の人が多そうな雰囲気です。

  • 今回乗車する東急バスは、道中細い路地が多いためコミュニティーバスで使用されるような小型な車両。

2017年(平成29年)9月13日(水曜日)

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泉さんがカブトムシの捕獲に成功!
都内でも自然が多い世田谷区!

 世田谷総合高校(旧・砧工業高校)の先から、バスは民家園一帯の木立に覆われた道を進んでいく。静嘉堂文庫のバス停を過ぎると、道は一段と急勾配の坂になって、さらにくねっと横道を曲がって玉川病院の玄関口で停まった。バスはここに立ち寄った後、また静嘉堂文庫の先の方へと進んでいくわけだが、この病院の前でいったん降りることにする。病院のすぐ脇から、崖線の深い森が広がっている。
 いざ森のなかの坂道を下ろうとしたとき、「あっ!カブト…」。目のいいスタッフのTが入り口の木にカブトムシを発見した。木肌にイボイボがついたこの樹は甲虫好みの樹液を出すシラカシだ。カブトムシはその幹をずんずん下へと降りてくる。手の届くところまできたので、指先でつまみとった。トゲトゲした脚の感触がイタナツカシイ。ツノが未発達の小型とはいえ、世田谷でカブトムシとはちょっと驚きだ。傍らで一部始終を見ていた地元のオジサン(僕と同年代くらいか?)が、「ここいるんだよ。オレ10匹くらい捕まえたよ」と自慢気に語っていたが、多少フカシが入っていたとしても、常に棲息しているということだろう。それにしても、われわれが来るのを見計らったように上から降りてきたあのカブトムシは、いわゆる"出好き"の奴なのかもしれない。
 そんな崖の森の右手一帯は「旧小坂家住宅」として一般開放されている。政財界人の別荘地……と書いたが、ここは信越化学工業などを創業した財界人、かつ政治家としても知られた小坂順造が1937年に建てた別邸で、湧き水の小川が流れる崖地の庭も見所だが、館内の造りや残された調度品もおもしろい。北山杉の柱、屋久杉の天井、洋間のマントルピース……さらに、「女中さん呼び出し機」とされる妙なブザーや戦前製のGM社の大型冷蔵庫、なんかがそのまま保存されていたりする。庭木の枝葉が乏しい冬場は、窓外に富士山が望める日もあるというが、富士といえばあの横山大観が茶室を間借りしていた時期もあるらしい。
 この家、清水組(清水建設)が設計、施工したようだが、すぐ並びの玉川病院の敷地は当初、清水揚之助の別宅だったというから、これもお隣さんの誼みってやつかもしれない。
 坂を降りた向こう側の丘に広がる静嘉堂文庫は、三菱財閥・岩崎家の別荘地で、とりわけ弥之助と小弥太が所持した書籍や美術品を収納した文庫として知られている。しかし、残念ながらこの日は、外側の門から閉まっていて、前庭に入れなかった。館内の見学はともかく、スクラッチタイル張りのイングランド風味の洋館の佇まいが素敵なのだが……。

かなりの年代もので、珍しいGM社製の冷蔵庫。当然ながら現在は使用されていませんが、こうやって触れられるのはとても貴重です。

  • 泉さんが捕まえたカブトムシ。下の角がくるんと丸まっていますが、サイズはなかなかのもの。世田谷は思ったより自然が多いエリアですね。

  • 旧小坂家住宅へと向かいながらお庭を徘徊中。勾配がきつい道を征くのは、この取材の恒例になりつつあるような…。

  • 旧小坂家住宅の内部。日本家屋のなかに作られた洋風な一部屋。右に見える暖炉はイミテーションで煙突はついていませんね。

2017年(平成29年)9月13日(水曜日)

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かつての景観を残す、岡本公園民家園を訪ねる!

 麓の岡本公園民家園の方を訪ねてみようと、坂下の丸子川沿いの道を歩いているとき、川岸の枝先にカワセミを発見した。これはすぐに逃げられてしまったが、よくよく見ると川面の上をハグロトンボがチラホラと飛び、川底を赤いアメリカザリガニが這い、モツゴかコブナか……小魚の魚影も見受けられ、初っ端のカブトムシからして世田谷国分寺崖線の自然環境も捨てたもんじゃない。
 区内に存在した江戸期の茅葺主屋や土蔵を移築した岡本民家園、開園は80年というから、この種の民家園として早い方だろう。主屋にはちょうど幼稚園児たちが見学に来ていて、囲炉裏にくべた薪の匂いがツゥンとあたりに漂っていた。
 民家園の脇の急な石段(48段ある)を上がると、素朴な岡本八幡神社がある。静嘉堂からこの神社にかけての景観は、おそらく昭和の初めごろから変わっていないのだろう。
  • 古民家園の縁側に置かれたベンチで一休み。なかの囲炉裏にくべられた薪の煙でけぶってますね…。

  • 古民家園の隣にある急な階段を上る泉さんとなかむら画伯。いくらお決まりの急勾配といっても、こんかいはちょっと多すぎないですか?

  • 古民家園の脇の階段を上ると、素朴な岡本八幡神社へ到着。このあたりの景観は昭和の初めごろからあまり変化していない?

泉さんが勝手に命名した「俺たちの坂」で、
あのシーンを再現 !?

 崖線上の道をさらに奥の大蔵方面へ進んでいくと、邸宅の間にまだけっこう畑が残っている。コインロッカー型の野菜の無人販売機にカボチャ、キュウリ、ジャンボシシトウなどの品札が出ていた。岡本三丁目のバス停を過ぎると、やがて仙川の方へ下る急峻な坂に出くわす。急な坂というのは各所にあるけれど、視界の開けたところを一直線で下っていく、この坂上からの眺めはすごい。ひと頃は確か、前方の丘陵に向ケ丘遊園の観覧車が見えて、この町に住んでいるユーミンの「かんらん車」って唄の世界を勝手に重ねたものだが、向ケ丘遊園はもはやない。
 坂上に置かれた道標によると、東京の富士見坂のひとつには数えられているようだが、地図に掲載されるほどの正式な名称はついていない。僕は先頃、CSチャンネルで70年代後半の青春ドラマの名作「俺たちの旅」を久しぶりに続けて見ていて、カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(秋野太作=当時・津坂まさあき)の3人組がしばしば座り込んで語り合う坂上がココ、と判明した。吉祥寺界隈が主舞台のドラマだから、せいぜい三鷹、小金井あたりの坂をイメージしていたのだが、坂下右手に自動車教習所(東京日産自動車教習所)が映り込む構図は、この場所に違いない。僕はこの岡本三丁目の急坂を「俺たちの坂」と名付けることにする。
 仙川の向こうの氷川神社の脇を抜け、永安寺に立ち寄って多摩堤通りまで出てきた。この夏は天候不順だったが、雨ふりが定例の当バス遊覧、いよいよ雲行きがあやしくなってきた。鎌田のバス停近くに見つけた不二家のファミレスでランチを取って、空模様を気にしつつ、本日もう1本のバスを待つ。二子玉川発の循環路線<玉04>あるいは<玉05>に乗って、向かうは宇奈根ハンカチ公園。
  • 世田谷でまだまだ現役の無人野菜販売所。場所によっては、カゴに入れられた野菜とお金を入れる木箱だけのところもあるのです。

  • 泉さん命名の「俺たちの坂」で、劇中のカットをイメージして記念撮影。

  • 不二家レストランにてランチ。ファミレスといえば「ハンバーグは外せない!」と思うのです。

2017年(平成29年)9月13日(水曜日)

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インスタ映えする"ひまわりの絶景スポット"で
写真を撮ろう!

 宇奈根は界隈の地名だが、ハンカチ公園とは何ぞや? ハンカチ落としで知られる公園だったりするのか……いろいろ想像をふくらませたが、ここはどうやらヒマワリの花畑が名物らしい(かつてはバラ園だった)。
 ほんの2つ3つ先のバス停・宇奈根ハンカチ公園で降りて、少し道に迷いながら目的地に着いた。先ほどからぽつぽつ雨が降り出してきた。
 見落としそうな看板しかない地味な公園(小ぢんまりした一角に遊具が1つ、2つ……)だが、すぐ向かい側に20m四方くらいのヒマワリ畑が広がり、意外にも若い女子グループとカップルが来ている。スマホを片手にピクニック特集の雑誌モデルみたいなファッションでキメた女子たちの佇まいからして、そうかこれもイカすインスタ写真のゲット、が目的なのだろう。
 が、かわいそうに、降り出した雨のせいもあって、ヒマワリの大方はショボンと下を向いて、しなだれている。
 「ぜんぜん、カワイクなぁい」
 女の子たちの嘆きの声が聞こえてきた。
 ま、うつむいたヒマワリってのもそれなりに哀愁がある……と、長く生きていると思うのですけどねぇ。
  • 宇奈根ハンカチ公園へ到着。名前の由来は公園のなかに一本だけ植えられている"ハンカチの木"からとられたのだとか。

  • あいにくの天気でうなだれてしまっているひまわり。天気がいい日なら、さぞやインスタ映えするスポットなのでしょうね。

  • せっかくなのでうつむいたひまわりと一緒にパチリ。これはこれで哀愁があってなかなかインスタ映えするかも?

イラスト:なかむらるみ

PROFILE

泉麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

なかむらるみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。