ほっとWebHOME > 泉麻人の東京深聞 > ハチ公バスで行く奥渋谷の奥の奥

2017年(平成29年)10月11日(水曜日)

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 渋谷の周辺をハチ公バスという可愛らしいバスが走るようになって久しい。最初のルートの開業が2003年の春だというから、コミュニティーバスとしてはベテランの方だろう。
 僕が初見したのは以前代官山に仕事場があった頃だったが、今の富ヶ谷の仕事場へ行くときにも渋谷と代々木上原の間を走っているルートをよく使う。このバスが走るエリアは、いわゆるトレンディー地帯といっていいが、知られたメインストリートよりも、むしろ意外な裏道に入っていったりするのがハチ公バスの魅力でもある。今回は、そんな知る人ぞ知る地味な停留所を目当てに、ハチ公バスの旅を展開していこうと思う。
 まずは、渋谷の忠犬ハチ公像の前に集合、御本尊と記念写真を撮って、すぐ横の恵比寿方面行きの乗り場から<夕やけこやけルート>のバスに乗車する。ハチ公バスの車両には赤、オレンジ、スカイブルー、と3色あるけれど、このルートのバスは深紅に近い赤。恵比寿方面行きだから、東口の明治通りを進んで行くのかと思ったら、一旦、桜丘の坂上をぐるりと迂回していく。そして、その後も素直に明治通りを進むわけではなく、246から青学の横道、さらに常盤松御用邸あたりを巡回して、ようやく恵比寿の駅前にやってきた。ともかく、バス好きにはたまらない込み入ったコースなのだが、細かく進路説明していたらきりがないので、多少ハショリながら案内していこう。
 恵比寿の東口に出てきたバスは、五差路手前のルノアールとびっくり寿司の間の通りに入っていく。このあたり、近頃ビストロやバール系のグルメ店が増殖している界隈だが、道幅は狭い。やがてバスは、一段と狭い一方通行に進入、新橋区民施設なんて停留所を過ぎて、その次が豊沢児童遊園地。ここで途中下車してみよう。
  • 東京深聞の取材としては久しぶりに都心のバス遊覧。渋谷の奥へと向かう旅に出発です。

  • スタート地点が「渋谷駅ハチ公口」だったので、とりあえずお上りさんよろしく記念撮影。

  • 今回乗車するコミュニティーバスは渋谷の「ハチ公バス」。他のコミュニティーバスと同じく、小さめの車両がかわいい。

2017年(平成29年)10月11日(水曜日)

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"遊園地"の響きに心動かされたものの…あれ?観覧車は?

 「遊園」ではなく「遊園地」といわれると、観覧車があるような大きな規模をふと想像してしまうが、降りようとしたとき、車窓越しにちっぽけな子供の遊び場が目に入った。砂場とすべり台、ブランコの手前に微妙な目つきのパンダ遊具がある。それと、入り口の脇に<豊沢之地>と刻んだ碑が立っているが、豊沢というのはこのあたりの旧町名なのだ。
 手前の新橋区民施設前の狭隘路を走るバスの写真をおさえようと、ちょっと道を引き返す。新橋というのは、この途中にある渋谷川に架かる恵比寿新橋のことだが、昭和30年代まで周辺には新橋町の名が付いていた。当時の地図を調べると、新橋区民施設(ひと頃まで新橋区民会館といった)の隣り、バスが通る狭い道のところはドロップのサクマ製菓の工場だったのだ。
 バス停で向こうからくるバスの写真を狙おうと思っていたら、もうバスは区民施設前を通過しようとしている。30分に1本見当のダイヤだから、乗り損ねると後に響く。バスが途中の信号で引っかかることなどを考慮すれば、先の豊沢児童遊園地まで引き返した方が早いかも知れない。久しぶりに全速力でダッシュして、どうにかバスに再乗車した。
 ここからまた渋谷へ戻るわけだが、この先の進路もおもしろい。加計塚小学校という、いまどきふとあの獣医学部の学園を連想してしまう恵比寿ガーデンプレイス脇の小学校の前を通って、代官山アドレスや蔦屋書店のあるTスクエアの裏通りをぬけて、鉢山町の方から渋谷の西口へアプローチする。
  • 「豊沢児童遊園地」の名前に惹かれて途中下車したものの、目の前にあった遊園地は……。とりあえずパンダにまたがる泉さん。

  • 渋谷にかかる「新橋」。港区の新橋とは関係ありません……。当たり前か。

  • カーブを曲がるバスを撮影しようと待ち構えるものの、このままでは乗り遅れてしまうので途中で断念して、次のバス停へダッシュ!

往年のヒット曲にちなんだ「ハチ公バス」の魅力!

 井の頭線の入り口前の停留所から、こんどは<丘を越えてルート>に乗る。オレンジ色のこのハチ公バスは僕が日々よく使うルートで、乗って間もなく109に差しかかるあたりでテーマソングが車内に流れる。

♪ハチ公バスだ ランランラン   上り下りの 渋谷の街を~♪

 ニューミュージックセンスの童謡、って感じのなかなかいい曲(二日酔いのときなどに聞かされるとイラッとくるが…)である。
 東急本店前、松濤美術館の先から山手通りに入って東大裏へ。ハチ公バスもルートによって客層は異なるが、このバスは圧倒的にお上品なマダム層が目につく。
 富ヶ谷交差点から井ノ頭通りに入って代々木上原の駅前が一応渋谷発の終点。が、そのまま乗っていると、こちら側からのバスは古賀政男音楽博物館の先で右手の狭い商店街に入っていく。そう、ハチ公バスのルート名には曲名がいくつか採用されているが、この、<丘を越えて>は、古賀政男のヒット曲にちなんだものなのだ(実際、富ヶ谷から代々木上原にかけてのダウンヒルの区間は、"丘を越えて"って地形ではあるけれど)。
 東北沢から東大裏にぬける通りに出たバスは、東大の北門の前から左手の東海大学通りに進んでいく。東海大学前の門脇にある「はつらつセンター富ヶ谷」の停留所で途中下車。ちょっと人に伝えるのが恥ずかしい感じのこのバス停の名は、すぐそばにある高齢者の集会施設に由来する。
 その向かい側の東海大学の敷地に、東京タワーの上部をチョンと切って持ってきたような電波塔が立っているけれど、これこそがわが国のFM放送の幕開けとなった"FM東海"の電波塔なのだ。現在のFM東京の前身でもある。
 少し道を戻って、この通りの入口までいくと、角にある酒屋(小西酒店)の棚に地場ソース「ハチ公ソース」が並んでいる。終戦直後の昭和21年に発売されたこのソース、少し井ノ頭通りの方へいった一角に1970代頃まで工場が存在した。その時代からの縁で、この酒屋が唯一直売しているらしい。
 そういう理由でハチ公バスがわざわざこの道を通っているわけではなかろうが、東海大学前の商店街は割合と古い店が残っていて、ホッとする。この日は、地元の神社(かなり離れているが、代々木八幡)の祭り旗が出ていたが、歳末の時期にはいまや珍しくなった"大売出し"の赤い旗がぽつぽつと沿道の店前に並ぶ。仕事場から近い、なじみの道を歩いて、贔屓の喫茶店・山手茶屋でウマいカレーを腹に入れ、富ヶ谷の停留所からもう1本、<春の小川ルート>のバスに乗ってみよう(さらに"神宮の杜ルート"というのもあるが、これは今回はパス)。

渋谷駅で乗り換えたハチ公バスは、オレンジ色。ルートによって車両のカラーリングが異なる。

  • 東海大学の敷地内にある、日本初のFM放送用の電波塔。なかなか趣きのあるデザインです。

  • 知る人ぞ知るご当時グルメ「ハチ公ソース」。店頭で購入できるのは、この酒屋さんだけなのだとか。

  • ランチは泉さん御用達の喫茶店「山手茶屋」にて、名物のカレーを。写真はチキンカレーと野菜カレーの合がけ。

2017年(平成29年)10月11日(水曜日)

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童謡の歌詞をなぞる「春の小川」ルート!

 渋谷区役所前から原宿の方を迂回してやってくるこのバス、「春の小川」というのは単に童謡のタイトルを当てただけでなく、その詞のモデルの川が昔の渋谷川上流(河骨川)とされているからだろう。しかし、この路線のコースはそこから外れて、北西の笹塚の方へと向かっていく。 
 山手通りの代々木八幡の先から幡代の方へ進み、甲州街道をちょっと戻って、新国立劇場横のオペラ通りなんてのを通って、再び山手通りに入ると、方南通りの1本手前の意外な脇道に折れていく。
 この辺の町名は渋谷本町。北方に中野区本町というものもあるので紛らわしい(ちなみに前者はホンマチ、後者はホンチョウと読む)が、こちら渋谷区の本町はもともと幡ヶ谷本町だったのだ。そのまま幡ヶ谷を上にのこしておけばよかったものを、ダメな町名改称の代表例といっていいだろう。
 町名はつまらないが、このバスの道筋はおもしろい。渋谷というより中野区的な、くねくねと湾曲した道をしばらく進み、本町4丁目と5丁目の境界線をまたクランク状に入り込んでいって、氷川神社の門前のY字路をわざわざ左方の狭い方に進路を取る。ようやく2車線ほどの道幅になった六号大通りの停留所で降車、バスで走ってきた狭いクネクネ道を引き返して散策する。
 乗車しているときから、グッとバスマニアの心をくすぐるものがあった、氷川神社の前の二又のところで向こうから姿を現すバスをカメラで狙う。素朴な神社の脇の狭い道からカーブを切ってバスがやってくる、このショット、とても渋谷区内とは思えない。小さなハチ公バスが、一見往年のボンネットバスに見える。
 満足のゆくカットをデジカメに収めて、先の六号大通りから幡ヶ谷駅の方へと歩いていく。直進する道はやがて狭くなって、六号坂通り、六号通り、と微妙に名前を変えるが、この数字の名称は現在の通称・水道道路の道端の水路に架かっていた橋に由来する。かつて、笹塚あたりから玉川上水の水を淀橋浄水場へ送り込んでいた時代、新宿の方から順に一号橋、二号橋……と橋の名を名付けた。その名残りで橋を渡るタテ筋の道に六号通り、七号通りの名称が引き継がれているのだ。
 六号坂通りのあたりから、背の低い商店筋が延々と甲州街道の幡ヶ谷駅の横まで続いている。ちなみにこの商店街、2年前(2015年)に封切られた細田守のアニメ映画「バケモノの子」で、精密に街並みが描かれている。
 近頃、東急本店の裏からNHKのあたりを奥渋谷と呼んだりするらしいが、いやぁ本当に渋谷の奥の奥の方まできてしまった。
  • 六号大通りの停留所で降車して立ち寄った氷川神社。細い路地にある素朴な神社で、なかなかの風情。

  • 氷川神社の路地を曲がってくるハチ公バス。細い道をクネクネと走り回るのも、コミュニティーバスの魅力のひとつ。

  • 細田守監督のアニメ「バケモノの子」で描かれていた六号通商店街の街並み。

イラスト:なかむらるみ

PROFILE

泉麻人(コラムニスト)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

なかむらるみ(イラストレーター)

1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。