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2018年(平成30年)04月11日(水曜日)
「昭和のくらし博物館」というのがある…なんて書き方をしたけれど、この施設、僕はもう二、三度訪ねたことがある。戦後の昭和26年(1951年)に「住宅金融公庫」の融資を受けて建設された一般民家を保存公開したもので、屋内に昭和時代の生活用具が展示されている。
木戸の向こうに小さな庭と縁側が見える2階建て日本家屋…僕が生まれ育った新宿・中落合の実家もほぼこういうスタイルだったので、ここを訪れるとなんとなくホッとする。屋内の展示物は時期によってテーマを変えて、多少チェンジされるようだが、この日は2階部屋の壁に何点か飾られていた、童謡のピクチャーレコードがなつかしかった。幼いころのクリスマスによく聞いた、「もろびとこぞりて」のレコードがこういう盤全面にマリア様の絵を描いたもので、うっかり踏みつけてヒビを入れてしまったときに、ひどく罪悪感を覚えた記憶がある。
博物館になったこの家の周辺にも、割合古いお屋敷が残っている。藤森稲荷神社の脇の通称・ぬめり坂(ぬめって上りにくいことがよくあった…なんてベタな由来らしい)を下って、「下丸子駅入口」というバス停を探す。一旦駅前まで行ったが見あたらず、環八から脇道に入ったファミリーマートの裏手にようやく「たまちゃんバス」の小さな停留所を見つけた。
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まずは「昭和のくらし博物館」を見学して、バス旅スタート!
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お金をかけずに雑誌の切り抜きを使い、着せ替えを遊んだもの。
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実際に泉さんも遊んだというゲーム。
やってきたバスは銀色に赤帯の東急バスのデザインで、ボディーはもちろん、車内にもたまちゃんのキャラがところどころに描かれている。このバスが循環する下丸子から矢口のあたりは、南北朝時代の新田義興ゆかりの地だが、武将の新田よりアザラシのたまちゃんの方がキャラ映えするということなのだろう。
およそ30分に1本ペースのバスは、下丸子の駅横を通過して、キヤノンや白洋舎が並ぶ工場街へ進んでいく。ガス橋近くの停留所で降りるつもりなのだが、バスのコース風景を眺めたいので一巡することにした。物置のメーカーで知られる稲葉製作所(本社)の前を通りすぎて、左に折れたり、右に曲がったり、1度では絶対覚えられなそうなコースを行く。バス停の名には採用されていないが、矢口三丁目停留所近くで車窓に垣間見える「桂川精螺」という古風な鉄塔を建てた工場は、人気ドラマ「下町ロケット」で阿部寛が社長を務める佃製作所の外観モデルになっていた所だ(じっくり眺めて、写真など撮りたいところだが、降りてしまうと後の行程に響く)。
武蔵新田、下丸子と環八づたいに戻って、さっき一度通りがかった白洋舎の先のガス橋二十一世紀桜の停留所で降車した。
高層マンション群の一角の停留所、ガス橋は少し先の多摩川に架かる橋だが、二十一世紀桜というのは手前の堤に植えこまれた桜のことらしい。しかし、ガス橋二十一世紀桜と合体されると、奇をてらったアニメのタイトルみたいな、妙なインパクトがある。
ところで、ガス橋の名前、近くに東京ガスの工場があった…とイメージしていたこともあったのだが、そうではなく、鶴見の方から都心に送るガスのパイプラインの橋だったことに由来するようだ。車道と人道中心の橋になったのは1960年のことらしいが、いまも橋の両側にガス管は設置されている。そして、いまどき上流側には武蔵小杉の高層ビル群がひと頃の新宿副都心のように屹立している。
一応、「アザラシはいないか?」川面に目をやりながらガス橋を渡る。たまちゃんの姿はなかったが、鵜の木が近いせいか、鵜と思しき黒いスリムな鳥が水しぶきをあげて川底へ潜っていくのが見えた。

以前、多摩川にアザラシが現れたことがきっかけで名づけられた「たまちゃんバス」
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東京都と神奈川を結ぶガス橋。再開発ですっかり変わった武蔵小杉の高層ビル群を眺めて。
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たまちゃんがいないかなと見ながら、一行は川崎市平間へ。
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ここから神奈川県へ。あいにくの天候の悪さ。
多摩川を超えた先には…。
やってきた<川74>の川崎市営バス(川崎西口北行)に乗って、古市場(ふるいちば)交番前で降りた。すぐ先に、おもしろい形状の交差点があるのだ。その感じは上空から見下ろした写真や地図を見た方がわかりやすいのだが、街路がお寺の"まんじ"のような形でクロスしている。中心地のあたりは歩道を広くとった小広場風のつくりになっていて、どことなくヨーロッパの小都市のようだ。裸女のブロンズ像の向こうに可愛らしいバーバー(理髪店)が見える。
この交差点に古市場の表示が出ているから、町の中心といっていいのだろうが、そもそもここは多摩川の対岸から来る矢口ノ渡(わたし)の船着場が置かれたことからできあがった町らしい。尤も、明治や大正時代の地図を見ると、対岸の矢口の側に古市場の名の集落が描かれている。池上の方からずっと南下してくる古道が真ん中を通っているから、市場くらいもちろん出たのだろう。
弁天通りという道を右折すると、やがて左前方に東芝の広大な工場が見えてくる。昭和30年代後半、1960年代から長らく東芝の本社工場として機能した場所だ。
この弁天通り側の裏門の前で目にとまったのが、<サザエさん>という看板。赤や緑、青の三原色を使った、まさに日曜夜のアニメ番組のタイトルをイメージさせるデザイン。スナック店のようだが、玄関口にこんな張り紙が出ていた。
「町内の集いの場になりました。営業はいたしておりません」
そうか…これはやはり東芝があの番組スポンサーを降りた(3月降板)ことと関係しているのかもしれない。しかし、このスナックらしき店、開業している時期に来て、カラオケでサザエさんのテーマ曲を歌いたかったものだ。

ユニークな形状のある交差点にて。

昭和の時代から存在していた東芝の工場。近くには「東芝前」というバスの停留所がある。
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平間銀座商店街を歩き、昼休憩。
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昭和の懐かしい感じが漂うバーバー。
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残念ながら、「営業はいたしておりません」という張り紙が。
昭和のノスタルジーを堪能しながら、
古き良き時代へタイムスリップ。
工場の正門前に置かれた「東芝前」停留所には川崎駅西口北の行先を掲げたバスが頻繁にやってくる。多摩川の川岸近くの通りを南進して、終点で降りると、ロフトやビックカメラやシネコンが収容されたショッピングモールの一角に東芝のビルもある。そもそもこの駅西口一帯がほんのひと頃まで東芝の堀川町工場だったのだ。
東芝未来科学館と名づけられたミュージアム、以前より子供向けのサイエンスコーナーに重きが置かれたものの、僕らがめざすのは隅っこの<ヒストリー>のコーナーだ。
創業者(の1人)田中久重が考案した江戸時代の「からくり人形」や和時計に始まって、初期の洗濯機やテレビ、パソコン…昔の電化製品の展示というのは何度眺めても楽しい。
♫光る 光る 東芝~
いまの会社の状況がどうあろうと昭和を生きてきた僕のような世代にとって、このメーカーは長嶋や大鵬、力道山と同じヒーローなのだ。
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東芝未来科学館にて。江戸時代からある「からくり」人形。
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今となっては見たこともない若者も多いのではないだろうか。昭和の家電"洗濯機"
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まるで昔に戻ったかのように懐かしい家電をみて、心躍る。

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泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。
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なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。