ほっとWebHOME > 泉麻人の東京深聞 > 八王子・恩方の里の車人形
  • 2018年(平成30年)05月09日(水曜日)
 高尾の駅前からは高尾山などの山方面へ向かうバス(西東京バス)が何本か出ているが、今回は「陣原高原下」に行く路線に乗ってみたい。午前9時半、北口の乗り場へ行ってみると、9時34分発のバスはすでに登山姿の人々でいっぱいだった。平日なので、それほど混むこともないだろう…と思っていたのだが、当日はこの取材にしては珍しくスカッと晴れて、空気もカラッとした絶妙のハイキング日和。パッと見たところ、高齢者のグループが目につく。バスの前でなかむら画伯と並んで撮影用の写真を撮っていると、70代見当の男性がスーっと近づいてきて、「ちょっとごめんよ」…
 2人の間に割り込むように後方に停車したバスに焦って乗り込んでいった。
 ところで僕らは一気に終点まで行くわけではないから、最初の目的地までは数分後に来る「恩方営業所」行というのに乗ってもいい。空いたこちらのバスに乗車して、高尾街道を北進する。バスが進む高尾駅の北側の丘陵には広大な基地が多い。まずは大正天皇や昭和天皇の墓所が置かれた武蔵野陵墓地、中央自動車道をくぐった先には東京霊園、八王子霊園…そんな墓地の山を下った先の北浅川に架かる川原宿大橋の停留所で降車、ちょっと向こうの陣馬街道を左折すると、川原宿の名が付いたこの辺には古い家がぽつぽつと見られる。
 1つ裏手の道に入ると、車人形という伝統芸能を継承する瀬沼家がある。
 門に「西川古柳」「瀬沼」と 2つの表札が揚げられているが、前者が車人形の創始者の名でいまも芸名として引き継がれている。僕がその存在を知ったのは、昭和30年代に取材執筆された東京の案内本、「東京風士図」(社会思想社・刊)の一文。
 「川原宿には文化的にも芸術にも価値がある車人形の一座、瀬沼さんの家がある。約140年前の文政のころ、大阪の人形浄るり『文楽』に弟子入りしたことのある西川古柳という人が、西多摩の酒造家ではたらいているうちに、独特の箱車を発明し、その箱車に腰をかけ、人形を操ることを考えたのがはじめであるという…」
  • 深聞1

    高尾駅北口から出発! 「ちょいとごめんよ」おじさんが割り込んできた所。

  • 深聞2

    住宅街に潜むまるで民家のような表札が印象的。

  • 深聞3

    車人形の伝統芸能を継承する瀬沼家に到着。

ここ八王子の地で住宅街に存在する車人形西川古流の魅力!!
 編集スタッフのTがアポ取りしてくれたこともあって、訪れるとすぐに御主人の瀬沼亨氏(5代目家元西川古柳)が舞台小屋や倉庫を案内してくださった。
 初代の西川古柳は本名、山岸柳吉といい、この人に弟子入りした2代目(瀬沼時太郎)の時代から車人形はずっとこの地で継承されている。
 「明治時代のことですが、当時多摩地区には車人形の一座が9座くらいあったって話で、そのくらい根づいていたんですよ」
 人形は文楽で使うものとよく似ているが、台車の仕掛けがおもしろい。形は高ゲタを模したもので、前に1輪、後に2輪、計3輪の車が付いている。家元自らちょちょいと実演してみせてくれたが、手で人形の顔つきを操作しつつ、座った尻で台車を動かしながら器用に足先で人形の足に動作をつける。
 「文楽が2人、3人で1つの人形を操るところを、こちらは1人でやってしまうんですよ」
 下半身までよく動くこの車人形は、体育会系の文楽、とでも申しましょうか。
 倉庫にずらりと陳列された"人形の顔(ガン首)"も壮観だった。およそ200年前から受け継がれてきたという古いものから、最近のものまで含めて、檜や桐の木型をベースに白い胡粉(ごふん)を塗り、膠(にかわ)を上塗りしてツヤを出していく、という工程はほぼ昔から変わらない。
 「昔ながらの胡粉がいいのは湿り気に弱いところなんですよ」
 説明を伺って、一瞬おや?と思ったが、湿気に弱い胡粉は濡れぞうきんで擦っただけでボロッと剥がれおちるので、汚れやキズの付いた人形の顔を修復するときに都合がいいらしい。
 ところで、八王子の土地柄、この家もひと頃まで織物業を兼業(亨氏の母親が仕切っていた)していたという。するともしや人形の着物も自前?ふと想像したが、車人形の衣装は古くから京都で作られているそうだ。

中に入ってみると、日本の伝統文化である車人形がずらり。

5代目家元の瀬沼氏が、自ら実演。

  • 深聞6

    代々受け継がれている西川古柳はここ東京・八王子の地で。

  • 深聞7

    古い時代のものから、最近のものまで"人形の顔"がずらりと。

  • 深聞7

    手で下を引っ張ると、表情ががらりと変わる面白さ。

童謡で親しまれている"夕焼け小焼け"。
中村雨紅の生家の近くにある「夕やけ小やけふれあいの里」へ。
 裏道を少し歩いて、陣馬街道の松竹の停留所でバスを待つ。松竹の2文字だとつい"ショウチク"と音読みしたくなるが、これはマツタケが正解。南方の集落にある松嶽稲荷神社というのが名のもとらしいが、ベタに松や竹が目についた土地だったのかもしれない。
 帽子にリュック姿のシニア女性の集団とともに乗ったバスは、「陣馬高原下」と行先を掲示したフロントの一角に"電気コード"のマークが付いていて、車内をよく見ると座席の傍らに携帯電話充電用のコンセントが備えられていた。リゾート地を走るバスのトレンドなのかもしれない。
 一方、停留所は駒木野、黒沼田、狐塚、力石…と、のどかな山里らしい名前が続く。降車する"夕焼小焼"はあの童謡の作詞者、中村雨紅の生誕地にちなんだもので、素朴な墓所や歌碑が置かれている。
 すぐそばを北浅川が流れるこの一帯は、レストランやスパを備えた自然公園風に整備されている(「夕やけ小やけふれあいの里」)が、まず僕の目にとまったのはボンネットバス。展示されているその西東京バスは、「いすゞ」のボンネット最後期の車種で、ひと頃まで「夕やけ小やけ号」の名を掲げて京王八王子の駅前から陣馬高原下まで休日に限って運行されていた。僕は90年代の中頃に乗ったことがあるけれど、そのときは、昔風の制服を着た車掌さん(八王子の女子大生のバイトと聞いた)が乗り込んでいて、沿線の案内をしていたのを思い出す。ディーゼル規制の強化に伴って運行休止になってしまったが、床油の懐かしい匂いが漂う車内を見学することはできる。
 園内のレストラン(いろりのばた)で、そばや旬の野菜天ぷらをランチに味わって、ここから陣馬高原下まではバスのルートに沿って歩いていくことにしよう。
  • 深聞4

    "ショウチク"ではなく、"マツタケ"

  • 深聞6

    バスの中で携帯の充電ができるのが珍しい。

  • 深聞7

    夕やけ小やけふれあいの里に到着。

  • 深聞4

    昭和の郷愁をそそる赤いボンネットバスが魅力的。

  • 深聞6

    実際に泉さんも乗車したことがあるとか。

  • 深聞7

    夕やけ小やけ特製とろろそば。

一行は陣馬高原下へ。
今も残る建物や大自然の山々に囲まれて…。
 歩きはじめてまもなく、道の右側に立派な門構えの屋敷と古めかしい郵便局が並んでいた。この辺は関場という集落で「昔、関所があったんだよ」と、どこからともなく現れた地元のオジサンがウンチクを述べたてた。
 しかし、とりわけ印象的なのは隣の木造洋館の上恩方郵便局の方。薄緑色の外壁と臙脂色の屋根の塗装もシャレている。
 「この郵便局なんかも明治の建物でね…」
 さっきのオジサンが言ったとき、いくらなんでも明治は古過ぎでしょ?と思ったが、なかで聞いてみたらやはり昭和13年の建築だった。しかし、昭和10年代のモダンな木造洋館の郵便局がいまだ健在というだけで素晴らしい。おもわずハガキを買って、記念の風景印(夕焼小焼の歌碑と陣馬山頂上の馬のオブジェなどが描かれている)を押してもらった。
 川井野の集落を過ぎたあたりから一段と山が迫ってきた。キョキョキョ、ホーホケキョとヒヨドリやウグイスの声がよく聞こえる。ランチの天ぷらにあったタラの芽らしきものが道端から手の届く木の枝先に付いていたので、なかむら画伯が絵の参考にとちぎりとった。匂いを嗅がせてもらったが、確かにタラの芽らしい苦い香りがする。

ふれあいの里を離れ、緑ある山々を歩き、次の目的地へ。

  • 深聞4

    明治?ではない。昭和10年代のカラフルな郵便局が健在。

  • 深聞6

    ここに来た記念に風景印。

  • 深聞7

    山菜の王様。これはタラの芽なのか?

 下案下(しもあんげ)のバス停を過ぎると、次は終点の陣馬高原下。南西方の陣馬山に至る高原への入り口で、登山客目当ての古いミヤゲ物屋や食堂が数軒集まっている。もはや廃屋化したミヤゲ物屋のトタン看板の品名に「こけし」と記されているが、いったいどんな感じのこけしを売っていたのだろう? また、こういう場所でこけしをミヤゲに買う人が昔はいた、ということなのだ。
 このあたりは上案下の集落でもあり、観光客相手の店の先にも古い家が数軒見られる。道が枝分れする所にぽつんと置かれた昔の郵便ポストに向けて、老婦人が三脚を立てた本格的なカメラで写真を撮っているのが印象に残った。
 バスは1時間に1本。帰路のバスまで時間の余裕があるので、店を開けているそば屋(陣馬そば)に入って暇を潰すことにした。尤も、夕やけ小やけの店でそばと天ぷらを食べてしまったから、もはや本格的に食べるわけにはいかない。品書きにあった「のらぼう」「たけのこ」「たらの芽」などの山菜の煮物や天ぷらを控え目にもらって、こうなると日は高いがビールが欲しくなってくる。
 生ビールの当てで格別だったのが、のらぼう。八王子周辺の畑で積極的に生産している青菜と聞いたが、薄揚げして軽くいためたようなそれは、中華の豆苗やターサイ炒めに似た風味だった。
 そう、道端でなかむら画伯が採集した枝葉、店主に見せたところ「こりゃタラの芽じゃありませんな」あっさり言われた。

食べ物から日用品、こけしまで。以前は登山客向けに営業していたそう。

  • 深聞4

    歩き疲れた時の憩いの場。バス待ちの場にも最適。

  • 深聞6

    古いポストから看板まで情緒あふれる古い家が立ち並ぶ。

  • 深聞7

    川と緑が眺められ、風通しの良い素敵な場所。

イラスト2
PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん酒場』(亜紀書房)、『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。