ほっとWebHOME > 泉麻人の東京深聞 > 小日向、小石川の山谷名所めぐり
  • 2018年(平成30年)06月13日(水曜日)
 文京区内を循環するB-ぐる(ビーグル)というコミュニティーバスがある。これに乗って、坂や名所旧跡の多い文京区を漫遊したいと思っていた。どこから乗ってもいいのだが、江戸川橋から出発することにした。
 有楽町線の駅を出て、表通り(目白通り)でバス停を探していたら、ちょっと横道に入ったところにひっそりと立っていた。こないだ下丸子から乗った「たまちゃんバス」もそうだったが、こういう隠れた横道に停留所が置かれているのもコミュニティーバスの魅力の一つといえる。20分間隔のバスが行ってしまったばかりだったので、バス停の奥の方へと続く地蔵通り商店街を軽く散策する。<横丁物語>と記された宣伝旗を掲げた素朴な商店街、なんでもいまオンエアされている本紙のCM(塚地武雅の新聞記者)のロケ地にも使われているらしい。
 やってきたバスのボディーには、停留所と同じくマスコットの可愛らしいビーグル犬が描かれている。「B」が文京区を表すことはすぐにわかったが、そうか…文京区をぐるりと回る、ってことでB―ぐると命名したに違いない。キャラ映えするビーグル犬の存在に気づいた発案者は、瞬間「やった!」と思ったことだろう。
 バスは江戸川公園の先から目白新坂を上ってイチョウ並木の美しい目白通りを西へ進む。沿道には椿山荘や永青文庫、カテドラル教会…この辺も名所が多いけれど、いちいち立ち寄っていては紙幅がもたないので先へ進もう。日本女子大を過ぎて不忍通りへと曲がり、護国寺から音羽通りを南下、大塚警察署の角からお茶の水女子大の方へ行く急な坂道を上っていく。
  • 深聞1

    今回は、江戸川橋からスタートです!!

  • 深聞2

    さぁ、B-ぐるバスに乗って、小日向へ。

  • 深聞3

    東京新聞のCMのロケ地で使われた「横丁」の面影を残す商店街

戸建ての家が立ち並ぶ住宅街の一角「久世山」。
一般公開されている「鳩山会館」へ往く!
 うん、いよいよ進路がおもしろくなってきた。坂上から跡見学園の裏道を通って小日向のお屋敷街に入った。大日坂を下る手前の都営小日向二丁目アパートのバス停で降車する。すぐ横の都営アパートの規模は大したことないけれど、この辺一帯は通称・久世山と呼ばれる由緒ある邸宅地。江戸時代の老中・久世大和守の屋敷に由来する俗称らしいが、明治の前半に陸軍の病院が存在した後は昭和の初め頃まで、まさに"山"のような高台空地だったことが古地図に表現されている。
 この久世山の一角でとりわけ有名なお屋敷といえば、鳩山会館として一般公開されている旧鳩山一郎邸である。歩いていたら、裏門の前に出くわしたが、こちら側から入ることはできない。今宮神社の脇の坂を一旦麓の方へ下って、音羽通りの側から回り込むようにして鳩山会館へやってきた。
 2つ3つと曲折した坂を上ってアプローチしていく感じは、都心の文京区とはいえ、まさに山上の御殿という感じである。当日はよく晴れた5月の中頃、庭園のバラが盛りということもあって、平日の午前中にしては人出が多い。これまで僕は2、3度訪ねているが、関東大震災後の大正13年に建築されたというイングランド趣味の洋館は、政治家というより皇族や華族の館を思わせる。
 鳩山一郎のものを中心にした一族の資料展示はともかく、2階の大広間の窓越しの眺望が目を見張る。バラの花園を設えた芝生の庭の一角に一郎や先代の和夫・春子夫妻の銅像が配置されている。もっともいまは木立ちの向こうに崖下のビル群が覗き見えているけれど、一郎が政界で権力を誇っていた時代は、向こう側に椿山荘側の山や神田川ぞいの低地を見晴らす景色が広がっていたのだろう。

高貴な雰囲気が漂う鳩山一郎氏の銅像。

  • 都心の高台にある住宅街で降車。

  • 鳩山会館の第2応接室にて。

  • イングランド調の洋館、鳩山会館。数々のロケ地としても使われている。

小石川にある「こんにゃくえんま」様は
眼病治癒にご利益あり!!
 次のバス停へ向かって、再び小日向の坂際を歩く。毎回交通標識に目を向けているけれど、この界隈に多いのは、車の進路の先に×を記した「この先いき止まり」の看板。崖に行きあたって寸止まりになってしまうような、昔ながらの路地がよく残っているのだ。
 大日坂下の先の停留所(文京総合福祉センター)から、さっきのバスに再乗車すると、すぐに左側の急峻な狭い坂を上っていく。車窓にちらりと道標が見えたこの坂は服部坂。最近までずっと「服部半蔵由来」と思いこんでいたのだが、どうやら服部権太夫という別人の屋敷が元ネタらしい。来るとき通りがかった跡見の先から春日通りに出たバスは、茗荷谷から播磨坂に入る。桜並木が続く共同印刷手前のこの通り、もう40年近く前の出版社の新人社員の時代、花見場所取りをさせられたことを思い出す。風の強い日でゴザがわりの段ボール箱が飛ばされないように見張りをするのが大変だったのだ。
 小石川の繁華街に入った「こんにゃくえんま」のバス停で降りて、その御本尊に立ち寄る。眼痛を患った信心深い老婆に右眼を与えたえんま様が祀られている、という寺。寺名は源覚寺というが、眼病の癒えた老婆が感謝の意をこめて授けたコンニャクの効用伝説の方が有名になった。
 「えんま通り」の表示が掲示された門前の商店街は最近になって高層ビルが増えたものの、今も右読みの屋号を掲げた本屋や昔ながらのパン屋ががんばっている。平行する白山通りとの間に柳町仲通りという横丁があるけれど、旧称・柳町と呼ばれた界隈は先の共同印刷の下請けなどをする小さな印刷屋や製本屋がひと昔前まで密集していた地域で、昭和初めの社会派小説『太陽のない街』(徳永直・作)の舞台にもなった。そう、ベストセラーになっている『君たちはどう生きるか』のオリジナル小説にも、確かこの辺の街の豆腐屋の少年が出てきた。
 「この町は物が安い。高台の人々がオツにすまして高いものを買っていたのに対して、この町の人々は、安いものを求める…」なんて解説が以前にも引用した昭和30年代の東京案内書『東京風土図』に書かれているが、いまは白山通りのちょっと先に「クイーンズ伊勢丹」なんかもある。OLさんたちが集う、アジアンカフェ調のベトナム料理店で旨いフォーや生春巻きを味わって、文化シヤッター前(目の前に「文化シヤッター」の本社ビルがある)という停留所から、千駄木・駒込方面へ行くB―グルに乗車した。
深聞4

交通標識が丁寧な文京区

深聞6

『君たちはどう生きるか』に出てきた豆腐屋さんはこの辺の街。

  • 深聞7

    一瞬通り過ぎてしまうくらいのところにある「こんにゃくえんま」

  • 深聞4

    ちゃっかり、こんにゃくもあります。

  • 深聞6

    おしゃれなベトナム料理。ランチタイムは並ぶほど人気のお店。

本郷通りの「駒込富士神社」。
通称「お富士さん」を訪ねて…。
 白山下から向丘、千駄木の方へ進んでいくこちらのルートにも見所は多い。台地から谷へ、谷からまた台地へという文京区らしい地形の移動も楽しめる。
 根津神社の横から不忍通り、団子坂下からちょっと内側に戻って、本郷図書館の角から千駄木小学校へ向かう一方通行の尾根道に入っていく。この沿道の旧安田楠雄邸庭園とファーブル昆虫館は当初見学地としてプランしていたのだが、惜しくもこの日は休館日。駒込病院の裏を通過して、本駒込三丁目でバスを降りた。
 このバス停の横道の奥にある駒込名主屋敷は一見の価値がある。とくに入り口の薬医門は江戸の宝永年間築とされ、前庭の奥に建つ蔵付きの母屋とアトリエ風の洋館も歴史が感じられる。「まわりは戦災をうけたが、ここだけまぬがれた」と、先の『東京風土図』に書かれているので、戦災焼失区域が赤く塗られた『東京都35区区分地図』(昭和21年・日本地図株式会社刊の復刻版)で確認してみたら、なるほど、確かにこの周辺だけ白い。空襲の火の手を免れたのだ。
 ほんの数百メートル行くと、由緒ある富士神社がある。本郷通りの都電の停留所に「上富士前」の名が付いていたほど、この"お富士さん"は知られていた。鳥居をくぐった正面に壁のように急角度の石段が見えるけれど、その頂きに社殿がある。境内の一角に富士塚を築いた神社はよくあるけれど、ここはつまり富士塚そのものが神社の御神体なのだ。
 山の斜面には他の富士塚にもあるように、富士講で訪れた人や集団の名を記した石碑が立っている。なかに「加州」と赤字で刻んだのがあって、上に"鉱山"のハンマー風のマークが入っているので、一瞬「カリフォルニアの日本人会の富士講」のような組織を想像したのだが、まるで違った。この「加州」は加賀藩を表わすのだ。いまの本郷の東大の所に加賀前田藩の上屋敷が置かれる際、それ以前に祀られていた浅間神社をこちらに合祀した。その縁で前田藩の大名火消が奉納した碑なのだという。鉱山のハンマーに見えた印は火消の纏、と思われる。
 さて、この先には六義園という定番名所もあるけれど、今回のバス遊覧は駒込の富士登山でお開きとしよう。
深聞4

閑静な住宅街の中にひっそりと佇む駒込名主屋敷。

  • 深聞6

    緑の木々に囲まれた富士神社へ到着。

  • 深聞4

    加賀藩を表わす「加洲」の文字が刻まれた石碑。

  • 深聞7

    かなり急な石段を上り、参拝。石段の両側には石碑がたくさん。

イラスト2
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PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。