ほっとWebHOME > 泉麻人の東京深聞 > バスで鳥居をくぐって大山詣で
  • 2018年(平成30年)10月10日(水曜日)
 小田急線の伊勢原にやってきた。駅前(北口)に鳥居が見えるが、これはこの先の大山に鎮座する大山阿夫利神社の玄関口を表わす鳥居でもある。その大山に行く路線バス(神奈中バス・大山ケーブル行)がここから発車している。
 その前に、鳥居のすぐよこにある「小公子」という渋い佇まいの喫茶店が気になって、立ち寄ってみた。例のごとく、愛煙家のスタッフ・Tがいて、いつもより堂々とした感じで煙草を吸っている。そうか…よく見ると、壁の一角に洋モク(外国煙草)のパッケージがずらり展示され、ドアでつながっている隣りは煙草屋さんなのだ。煙草好きの人が始めた喫茶店に違いない。コクのあるおいしいブレンドを味わいつつ、カウンターにいる女主人に尋ねたところ、40年ほど前に開業したこの店、飾られた洋モク(パッケージ)は旅行好きの先代(彼女のお父様)が海外で集めてきたものらしい。
そして、「小公子」という可愛らしい店名も先代の命名という。
「好きだったシルクハットのイメージなんですよ」
 一瞬ピンとこなかったが、なるほど、主人公のセドリック少年がドリンコート城を訪ねるシーンで身に着けていた燕尾服とシルクハット…からの発想なのかもしれない。
 喫茶店を出てきたら、目の前の大山ケーブル行のバス乗り場には長蛇の行列ができていた。平日の午前10時2分発。乗客の大方は登山、ハイカー・ルックの中高年である。僕らは山登りする気では来ていなかったが、頂上まで行って周辺の丹沢山系に足を延ばす人もけっこういるのだろう。
 久しぶりの立ち乗車で車窓景色を眺める。駅前の市街をぬけて、東名高速の下をくぐったあたりから一段と田園らしくなってくる。太田道灌ゆかりの道灌塚前、山王原、明神前、子易…と、停留所の名称も神社信仰の土地らしい。
 鳥居前のバス停の先には、まさに鳥居がある。それも、道の傍らではなく、このバス通りをまたいだ大鳥居で堂々と建立されているのだ。ここで降車して、鳥居をくぐるバスのショットを狙ってみたい。
 時刻表を確認すると、20分ほど後に上り下りの両方向からバスがやってくる。鳥居に目をやりつつカメラを手に構図を練る僕らを、すぐ向こうで老人がにやにやした顔つきで眺めている。声を掛けてみると、老人はすぐ横のお宅の住人で、昭和2年の生まれ、御年90を過ぎている。「小田急で東京から来た」というと、「オレ、小田急運転してたんだよ、昔」なんておっしゃっている。
 ハンドルを切るようなポーズをしたので、バスかと思ったら、昭和20年代当時の普通電車の運転士だったという。
「兄貴が死んじゃったからさ、オレが替わりにやることになって。それまではここで牛の乳しぼってたんだよ…」
 老人の家は酪農を営んでいて、このバス停のすぐ裏に乳牛の牧場や牛舎があったという。
 そんな貴重な昔話を伺っているうち、まず山の方からバスが、まもなく下の町の方からのバスがやってきた。カメラに収めて、ここからは歩いて大山のケーブル乗り場をめざす。
 この鳥居をくぐりぬけたあたりから目についてくるのが、<先導師>の名を掲げた古めかしい旅館。先導師は「御師(おし)」の別称もある、いわば神社参詣のツアーコンダクター。江戸で大山信仰の宣伝をしながら檀家を集めて大山講(山登りと神社参詣)の水先案内をして、宿坊を提供する。先導師の名を冠した家は、そんな江戸の大山講ブームの頃から継承された宿坊旅館なのだ。奥多摩の御岳山にもこういう御師の集落があるけれど、商売柄か、古い日本家屋をそのまま使い続けている所が多いので、それが町並に趣きを与えている。
深聞1

大山ケーブル行きに向かう人たちの長蛇の列。

  • 深聞2

    大山阿夫利神社の玄関口を表す鳥居。

  • 深聞4

    鳥居をくぐるバスの瞬間を! パシャリと。

  • 深聞5

    貴重な昔話をしてくれた住人の方。

新しくなったケーブルカーはまるで“近未来トラム”
 昔ながらのミヤゲ物屋が並ぶ一角に、大山駅というバス停がある。一瞬、ケーブルの駅を連想する人も多いかと思われるが、ここはひと昔のバスの終点で、公共交通の駅的な役割をしていた場所なのだろう(ケーブルの駅をこの辺に設置する計画があった、という説も聞く)。
 この大山駅の所から、さらに1キロ近く、けっこうな勾配の坂を上ったあたりに「大山ケーブル」のバス終点があり、ここからまた江ノ島風の石段ミヤゲ屋街をクネクネと上りぬけた先に、ようやくケーブルカーの乗り場が現れた。
 昭和40年(1965年)に開通したというケーブルカー、ほんの数年前まで、開通当初の車両と思しき古ぼけたやつが出入りしていたような気がするが、いまは“近未来トラム”っぽい洗練されたグリーンとスカーレットの車両に替わっている。標高はこの大山ケーブル駅のあたりが400メートルほどで、終点の大山阿夫利神社があるけれど、ここは正確には下社の方で本社が存在するのはさらに500メートル余り山道を登った頂上付近。本社の参拝も当初考えたのだが、この下社から往復4時間くらい要するようだから、日帰りの路線バス企画ではちょっと厳しい。
 ところで、他所にもある「阿夫利」(神社)というのは“雨降り”を意味するもので、いわゆる雨乞い祈願の神様なのだ。この大山は相模湾から平野に入った南東風がぶつかって雲が湧き、雨が降りやすい場所なのである。
 しかし、しばしば雨降りに見舞われるこの企画にしては、よく天気はもっていて、境内の崖際から江ノ島や三浦半島まで見渡せる。江戸の頃の大山詣では江ノ島詣でとパックになっていたツアーも多かったというが、こうやって下界を眺めれば、あそこにも立ち寄っていこう…という気になるのはよくわかる。東京の市街地まではさすがに見えないけれど、江戸の人々が富士や箱根をめざして街道を西進するとき、それより手前、相模平野の向こうに最初に目につく山がこの大山だったのだろう。つまり、大山信仰は“コンパクトな富士講”みたいな意味合いも含めて江戸で人気が出たのかもしれない。
深聞6

今も残る昔ながらのミヤゲ物屋。

  • 深聞7

    あともう少しでケーブルカー乗り場に到着

  • 深聞8

    こま参道の終点「大山ケーブル駅」。

  • 深聞9

    阿夫利神社から江ノ島、三浦半島まで見渡る絶景です。

大山寺を訪ねて~想像を超えた山道
 さて、先のケーブルカーには途中ひとつ、大山寺という駅がある。下社境内のミヤゲ物屋のオバチャンに聞いたら、山道を15分も下れば寺に着くというので、大山寺にちょこっと寄り道してからケーブルで下山することにした。
 この大山寺までの山道が案外きつかった。敷石を入れた階段状にはなっているものの、ごつごつした岩石が剥き出しになったような箇所もあり、勾配もけっこう急なのだ。行程上、ケーブルカーの時間を気にしながら早足で下っていたら、大山寺の堂宇が見える頃にはヒザがガクガクと笑い出していた。
 鎌倉幕府の時代、源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願して神馬を奉納した…なんて伝説もある大山寺。迅速に参拝して300メートルほど離れた駅に入ってきた下りのケーブルカーに駆け込んだ(当初、上り下りのホームの位置をまちがえていたので、盛りなしで「駆け込む」という状況だった)。
 ケーブルカーを降りた先の階段状の商店筋には、名産の大山こまを並べたミヤゲ物屋が目につくが、もう1つ多いのが豆腐料理を看板にした店。ケーブルカーに焦って乗り込んだのは、「小川家」という豆腐をメインにした小料理屋を予約していたからだ。湯豆腐に湯葉、揚げ出し豆腐…デザートも杏仁豆腐という豆腐づくしのランチを味わったが、そもそも大山の豆腐料理は先述した先導師の宿坊から広まったのだという。
 帰路、山の麓の石倉橋の停留所でバスを降りた。西方にちょっと歩いたところに立ち寄りたいポイントがある。広い道を数百メートルばかり行った消防署の先のくねくねした横道に入っていくと、畑の向こうに奇妙な名前のバス停が立っている。
 その名は、伯母様。そのまんまオバサマと読む。少し先の逆方向側のバス停の脇に「伯母様村観音」というのが祀られていて、石碑に記された謂れによると“北条氏家から村を与えられた布施弾正左衛門康則という家臣の伯母・梅林理香大姉”という女性が“伯母様”の正体らしい。大姉と付くように、この地にあった高岳院という寺の比丘尼だったという説がある。北条氏康の活躍期は1550年代頃だが、こういう北条氏の土地で伯母様というと、それより400年ほど前の女帝・北条政子の姿をふと思い浮かべてしまう。
大山寺の安産祈願、と結びついた政子伝説でも絡んでいたらおもしろいのにな…。
深聞4

昔この辺りは「伯母様村」と呼ばれてたらしい。

  • 深聞10

    参道沿いにある豆腐料理店「小川家」。

  • 深聞12

    大山寺へ向かうまでの道のり。

  • 深聞11

    ひっそりたたずむ「伯母様」バス停留所。

イラスト2
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PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん酒場』(亜紀書房)、『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。『クレア』『翼の王国』『ビックコミックオリジナル』でも連載を持つ。泉麻人さんとは『東京ふつうの喫茶店』(平凡社)などでダッグを組んだ。