今月の街先案内人

今回のゲストは人気コラムニストの泉 麻人さん。 青春を謳歌していた頃の拠点が、当時通っていた校舎のある三田だったそうです。街の細やかなところに着眼する、独特の視点はこの街で養われたに違いないと、勝手に思ってオファーしたところ快諾していただけました!

コラムニスト“泉 麻人”が誕生した街、三田。

昭和のレトロなネタから、交通機関に関するうんちくネタなど、マニアックな視線が世代を越えて支持される人気コラムニスト、泉 麻人さん。いわゆる“サブカル”を扱った先駆者というイメージが強いのですが、実は慶応義塾の中等部から大学まで通われた慶応ボーイ。その洗練された感性は、いったいどの時代に培われたものなのか? ズバリ聞いてみました。
「いや~。学生時代からすでにマニアックな人間だったんだと思いますよ。当時は好きな音楽をテープにダビングして、オリジナルテープを編集するのが流行していたんですが、僕の場合は好きなテレビCMをダビングして、ネタテープを作っていました(笑)。

特に映画やミュージックビデオのパロディが流行してましたね。広告学研究会というサークルにいたときに『週刊TVガイド』のCMの企画を依頼されまして、それがきっかけで、東京ニュース通信社に入社したんです。『週刊TVガイド』記者や編集をしながら、当時平凡出版の『ポパイ』でも原稿を書くことになりまして。

コラムニスト“泉 麻人”が誕生した街、三田。
学生時代から変わらず営業されている喫茶店にてインタビュー。お店のご主人との思い出話にも、花が咲きます。

さすがに他社で書くとなると本名はマズイので、“泉 麻人”というぺンネームを使ったんです。それが、ぼくのコラムニストとしての始まり。この三田という街は、今の僕がこの道に入るきっかけを与えてくれた街といってもいいですね。

時代によって街の魅力は変化する。だから街歩きは楽しい。

三田からの展望で最もシンボリックなのは、やっぱり東京タワー。その東京タワーが開設された昭和30年代、三田界隈はまさに時代の最先端をいく街であったようです。

「例えば、聖坂の周辺には、当時の高級住宅地としての名残がいまも残っていますよね。昭和40年代のトレンド・秀和レジデンスは、とてもわかりやすい例。あの頃は今のような高層マンションも立っていなかったので、この高台はまさにオーションビューだったんじゃないのかな? 」

 そんな時代の最先端スポットが、今は昭和の懐かしい雰囲気が楽しめる“レトロスポット”として人気があるいうのは、興味深いですね。
「それが“街ぶら”の醍醐味でもあります。それに歩くたびに必ず新しい発見があるものなんです。例えば三田の駅前の商店街。僕が通っていた当時は“慶応仲通り商店街”という名前で、以前に訪れたときは“慶応通り商店街”と名前が変わっていたんです。


なんだかマヌケだなぁと思っていたんですが、それが今日来てみたら名前が元に戻っている!」
 何度も訪れているからこそ、細かい変化にも気づけるのでしょうね。ちなみに、三田に通っていた当時の特別な思い出というものはありますか?
「う~ん。特に印象に残っているのは、中等部の頃の風景かな。当時はまだ三の橋や魚籃坂のあたりを都電が走っていたんです。僕はもともと地図を眺めるの好きで、その延長線として乗り物も大好きでした。だから、用があるわけでもないのに、よく都電に乗ってましたね。あの頃の風景は、今もよく覚えています」

時代によって街の魅力は変化する。だから街歩きは楽しい。
商店街には当時の雰囲気が色濃く残っているものの、建物や看板だけが残り、閉店してしまったお店もチラホラみえる。
時代によって街の魅力は変化する。だから街歩きは楽しい。
街ぶらをすると、ついつい細かいところが気になり、チェックせずにいられないのは、もはや職業病ともいえる癖なのだとか。

 交通機関のネタは、その頃から既に収集されていたんですね(笑) 「そうですね。そう考えると、僕のフリーランスとしての活動は、思っていた以上に、三田に支えられていたのかもしれないです」

写真:ボクダ茂

 
泉麻人
Myprofile
泉麻人(いずみあさと)

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『昭和40年代ファン手帳 』(中公新書ラクレ)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。
Information

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