今月の水先案内人 今回のゲストは2017年3月から東京新聞のイメージキャラクターを勤める、お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の塚地武雅さん。家族の反対を押し切って、芸人になるべく上京したときに過ごした街「東高円寺」を紹介していただきました!

今の事務所を選んだのは、"オモロイおっさん "たちが活躍している事務所だったから。

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 当時としては珍しく、サラリーマンから芸人へと転職を果たした塚地さん。会社を辞めてまで、芸人を目指したきっかけは何だったのでしょう?
「もともとお笑いが大好きで、ずっと芸人に憧れていました。中学生のころには自分でネタを作ったりしていたので、折をみて両親には伺いを立てていたんです。高校を卒業するときにも、相談したら『大学へ行ってから考えればいい』と言われて、なるほどと納得してしまって(笑)。大学を卒業するころには、大学に行かせてもらった上、長男ということもあって『"芸人になる"は、ゆーてはあかんことなんや』と、感じ取っていたので、普通に就職したんです。とはいえ、社会人になってもネタを作る癖は抜けなくて、手帳にちょこちょこ書き込んでいました。 あるとき、そのネタ帳が2 冊目に突入していることに気づいて、ふと『やっぱり自分は "お笑い" をやりたいんだな』と自覚したんです。
 ちょっと大げさですけど、このままだと自分が死ぬ直前に『本当はお笑いをやりたかった…』なんて口にしそうだなって思っちゃったんです。そんなわけで、会社を辞めて本気で芸人を目指すことにしたんですけど、親とは大喧嘩になったこともあって、とにかく上京してしまおうと。それで住み始めたのが東高円寺なんです。」

当時の東高円寺には現在の事務所である人力舎がありましたよね?「そうなんです。僕は人力舎のお笑いスクール出身で、学校に通いやすいから東高円寺に決めたんです。
 東京を知らずに上京してきたので、スクールに近い不動産屋へいって、その日に部屋を決めました(笑)」
なぜ人力舎を選ばれたのでしょう?
「僕はコテコテの関西人で東京のお笑いは全然勉強したこともないし、24 歳から芸人を目指すという年齢的なハンデも背負っている。何かキャッチーなことでもしないと、覚えてもらえないだろうと。
 そこで、相方を東京人にすれば "東西融合のお笑い" をウリにできるかも? という計算はありました。
さらに、当時の人力舎には大竹まことさんをはじめとしたシティボーイズや高田純次さん、竹中直人さんといった "オモロイおっさん" が活躍していたことが大きいですね。自分もすでにおっさん予備軍だと思っていましたし、スクールの講師陣として紹介されていたので、この人たちの面白さを学びたい!と入学を決めたんです。まぁ、卒業するまで、一度も講師として来られたことはなかったんですけどね(笑)」
  • 「ホンマにボストンバッグひとつで上京しました」と、笑顔で衝撃の告白をする塚地さん。

  • 面白エピソードがいくつも飛び出すものの、残念ながら文字数の関係で…。申し訳ない。

  • お笑いについて語るときは、自然と真面目な表情になる塚地さん。

一番しっくりくるのは "テレビコント"。キャラクターが独り立ちしたときの満足感は格別です。

事務所で撮影を行うと、かならず登場したという「蚕糸の森公園」。「下積み時代の苦い思い出が…。ようやく、懐かしいと思えるようになりました(笑)」

 芸人としてだけでなく、ドラマや映画など、俳優としても活躍されていますが、どのお仕事が一番自分らしいと思いますか?「芸人としても役者としても、ドラマも映画もコントも、どの現場に向かう場合もスイッチを切り替えるということはないですね。ありのままの自分というか、常に「面白く!」ということを意識しているだけで、どの現場も全力でやらせていただいています。
 とはいえ、いちばんしっくりするのはテレビコントでしょうか?もともと『夢で逢えたら』という番組を観たのをきっかけに、テレビコントがやりたくてこの業界に入ったという背景もあります。特に、コントで演じたキャラクターが好評で、キャラクターが独り立ちしたときの嬉しさや楽しさは格別です。正直、『はねるのトびら』が終了したとき、年齢的にもコントに携わるのは難しいかな? と覚悟していました。それが今もコントをやらせていただけている。とてもありがたい環境ですよね。」

これまでのキャリアの中でのターニングポイントはやはり『はねるのトびら』ですか?
「もちろんそうなんですけど、厳密に言えばその前身である『波8』という番組ですね。実はバラエティー業界では、"芸人8年周期"という説があるんです。たけしさんの8個下がさんまさん、さらに8個下がダウンタウンさん、その下がナイナイさん。その次を探し出すというコンセプトの番組なんですけど、僕はナイナイさんと同年代なので、番組選考から外れていました。
 当時、浅草の『東洋館』か『木馬亭』でネタをやっていたんですけど、観客が3~4人位しかいなかった日があって、それでも腐らず全力でネタをやっていたら、その観客のひとりが実はフジテレビのディレクターさんだったんです。そのネタを観て、年齢関係なしにオーディションに呼んでいただいたので、これが一番のターニングポイントかもしれないですね。
 ちなみに『波8』の番組 MC は香取慎吾さんだったんで、僕達が初めてガッツリ絡んだ芸能人はSMAPさんなんです(笑)」

仕事の上で、今後の展望はありますか?「近年はピンでの仕事が多いんですけど、なんだかんだと 20 年解散せずにやってきたので、コンビとしての活動を増やしていきたいと考えています。できればコンビの番組を持ちたい!という気持ちはありますね。二人でやるのって、やっぱり楽しいんですよ。」
  • 久しぶりの駅前を歩くと、何もかもが懐かしいとテンションが上り気味の塚地さん。

  • 当時のネタ合わせは公園が定番だったそう。「生徒はみんなここでやってましたね。」

  • 商店街は様変わりしていた模様。「昔より住みやすそうで、ちょっと羨ましい…」

写真:ボクダ茂

PROFILE

塚地武雅 ( つかじ むが)
1971 年生まれ。大阪府出身。24歳で事務所の養成所(スク ールJCA)に入学。1996年にコンビ「ドランクドラゴン」を結成する。 俳優としても活動し、2006年には映画『間宮兄弟』でキネマ旬報、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの三冠映画賞新人賞を受賞。
● レギュラー
「LIFE! ~ 人生に捧げるコント ~」「東京暇人 ~TOKYO hi IMAGINE ~」
「ザキ山小屋」 「明日のヒット商品を探せ ! ドランクドラゴンのバカ売れ研究所」
「Honda Smile Mission」