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  • 山本寛斎 × 三軒茶屋

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三軒茶屋が私のホームタウン
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今月の水先案内人木の実ナナ
今月の街先案内人
今回のゲストは世界的デザイナー・プロデューサーの山本寛斎さん。日本のファッション史を語る上で、触れずにはいられないほどのレジェンドが、「ほっとWeb」独占インタビューで三茶の魅力を語ります。
ファッションに興味をもったのは、
要約すると「女性にモテたい」から。
 日本人として初めてロンドンでコレクションを発表し、伝説のロックスター、デヴィット・ボウイの衣装を手がけるなど、功績を挙げれば枚挙に暇がないファッションデザイナーの山本寛斎さん。74歳を迎えたいまも『日本元気プロジェクト』をプロデュースするなど、第一線で活躍する、そのパワーの源を探ります。

そもそも、この業界を目指したきっかけは何だったのでしょうか?

 「そもそもは異性にモテたいという単純な動機です。そのためにカッコいいファッションをしようと思ったわけです。
 始めの頃は既成品の服を着ていましたが、それだと同じ服がたくさんある。当時は斬新な着こなし方というものが浸透するほど社会が円熟していませんから、他人と違う服がないのなら自分で作ろう!という流れです。自分を表現するために自分で作るということがスタートラインということもあり、私は“お針子”あがりなんですよ。
 ファッションデザイナーの多くは、大学や専門学校などでデザインを勉強して目指すものなんですけど、私はデザインに関してはお針子をやりながら現場で学びました。
 当時、ファッションデザイナーの登竜門と言われていた“装苑賞”も、私は3年かけて受賞しました。周りの学生たちのように『獲れたらいいな』ではなく、『獲らなきゃならない』という立場で挑んでいましたから、意気込みは誰にも負けていなかったと思います。」


デビューがロンドンでのコレクション発表でしたが、なぜロンドンを選ばれたのでしょう?

「私はデザインのインスピレーションは、ファッション誌ではなく音楽雑誌から受けていました。当時はベトナム戦争が長引き、世界中が今の生き方に疑問を持ち始めていた頃です。文化的にも新しい生き方を模索していた時代だったんだと思います。そんななか、意欲的に活動しているミュージシャンに注目すると、イギリスが一番多かったからということがひとつ。
 それと、私が尊敬しているアントニオ・ロペスというイラストレーターの友人が『ロンドンがいい』とアドバイスをくれたことも影響しています。当時、私はまだ無名なデザイナーで、彼は私とは1歳違いでしかないのにすでに世界に名が知れた存在でしたから、ものすごく意識していました。このロンドンでの成功が、後にデヴィッド・ボウイの衣装を手がけるきっかけへとつながります。残念ながら、ロペスはすでに亡くなってしまいましたけど、私にとってかけがえのない存在ですね。」

デビュー当時を振り返り、思わず笑みが溢れるようなエピソードもたくさん伺えました。紙面に限りがあるのが残念…。

「前例のないこと」であることが、私のモチベーションをあげてくれるのです。

高速道路沿いのイメージが強い三軒茶屋も、すこし中に入るだけで緑の囲まれたお散歩スポットが現れます。

普段お仕事をされるなかで、心がけていることなどはありますか?

 「私の活動理念として『前例がないこと』ということが第一です。他人がやったことがないことを自分が初めてやるということにモチベーションの根幹があります。それと、とにかく行動を起こすということ。
 最近、卓球の世界では伊藤美誠さんの活躍が著しいですよね。彼女が勝ち続けているのはどうしてなのか? 世界のトップ選手ですから、当然ながら対戦相手に分析されているはずですけど、相手が対処法を身につけるスピードよりも、彼女が進化するスピードの方が早いわけです。テレビの番組で拝見した彼女のトレーニング方法は、『そこまでやるか⁉』というほどのものでした。
 私も、プロフェッショナルとは『そこまでやるか⁉』というところまで突き詰めるものだと思っています。ですから、私も『そこまでやるか⁉』というところまでとにかく行動することを心がけているんです。」

馴染みのお蕎麦屋さんで、ちょっと一息。自分の家にいるかのようにくつろぐ寛斎さん。



今後の展望や目標のようなものがあったら、教えていただけますか?

「今、私がハマっていることは“縄文時代”なんです。縄文時代がいつ頃はじまったかご存知ですか?今からざっと1万5千年前。今は西暦2018年ですが、縄文時代はその5倍、約1万年も続いたということを知り、驚愕したからです。どのくらい重度にハマっているかといえば、毎週末は縄文土器が出土された場所を訪れているくらい。
 縄文時代を考古学的に切り取ることはみなさんされていますけど、土器の美しさ・芸術性から切り取ったのは岡本太郎さんが最初でしょう。
 私は、これまで見向きもされていなかった角度から切り取って考察してみたいなぁと。それはズバリ、ファッションという切り口です。
 ずいぶん前になりますが、仕事でアフリカのマサイ族の人々と接する機会がありました。当然ながら現地の人の格好は腰巻きだけです。彼らが座って作業をすると、男性なら何やらブラブラしてしまうわけで、撮影をしているカメラマンやディレクターは気になるからついつい視線がそこへ向かってしまいます。その視線はマサイの人も気づきますから、やはりモジモジされていました。
 彼らの生活を鑑みると、はたして縄文時代の人たちは性器を隠そうとしていたのでしょうか?土器に模様が描かれているのですから、当然ファッションという概念はあったはず。それではどんな衣装を身に纏っていたのでしょう?そういったことを考えると、ファッションを通じて性の営みや人間学として考察することもできそうだと思いませんか?
 土器や化石のように形として残らない、有機物である当時の衣装に焦点をあてて、縄文時代に対して考察できたら、前例のないことですよね?」

写真:ボクダ茂
PROFILE
  • 山本寛斎プロフィール
  • 山本寛斎(やまもと かんさい)


    1944年2月8日生まれ。横浜市出身。
    1971年にロンドンコレクションにてデザイナーとして鮮烈なデビューを果たす。以降はパリやニューヨークでもショーを開催し、ファッションデザイナーとしての地位を確立。現在はデザイナーのみならず、タレントや俳優としての活動のほか、観光立国懇談会や、2005年の「日・EU市民交流年海外事業」など、各種日本政府諮問事業の委員なども務めている。