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好きファン対談
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サッカーの母国であるイギリスで生まれたジョージ・ウィリアムズさん。
そんなジョージさんが対談相手に指名したのは、多くのファンに愛される日本サッカー界のレジェンド、
元日本代表としても活躍した三浦淳寛さん。
サッカーへの愛が詰まったお二人の対談をお楽しみください!
好きファン対談!!
渡辺真理さん
   
   
ジョージ・ウィリアムズさん 三浦淳寛さん
ジョージ・ウィリアムズ さん
DJ、VJ
  三浦淳寛 さん
サッカー解説者
    加藤夏希さん
    好きファン対談スタート

もともとは野球少年?

サッカーとの出会い

■ジョージさん 今日は来てくれてありがとう!僕はイギリスで生まれて、少年時代はずっとサッカーをしていたんです。今でもサッカーを見るのが大好き。今日は三浦さんとお話しできるのを楽しみにしていました!
■三浦さん こちらこそ。今日は指名していただいてありがとうございます。
■ジョージさんそれにしてもこちらは素敵なお店ですね。三浦さんがよく来られるお店なんですか?(※この日は横浜の山手にある三浦さんお気に入りのカフェ「ドルフィン」で対談が行われました)
■三浦さん いいでしょ。僕は埼玉生まれの大分育ちですが、もう横浜が一番長くなりました。海と山がある横浜の街が大好きなんです。このお店は高台にあって、海も山も見渡せますからね。
■ジョージさんいやぁ、もう最高!
■三浦さん ユーミンの『海を見ていた午後』という曲があるんですが、歌詞にこの「ドルフィン」が出てくるんです。お店の人に何度も「いい曲だね」と言っていたら、今では僕が来ると必ずその曲をかけてくれるようになりました(笑)。今日はジョージさんにお会いできるということで、僕からこちらのお店を提案させてもらったんです。
■ジョージさん ありがとう!では早速ですが、どんどん聞かせてもらいます。三浦さんはやっぱりサッカー少年だったんですか?
■三浦さん 僕は埼玉西武ライオンズの本拠地でもある所沢市で生まれて、祖父も父も兄もみんなライオンズファンでした。実は小学校3年生までは野球少年で、将来はプロ野球選手になってライオンズに入ると決めていたんです。
■ジョージさんプロ野球選手を目指していたのに、どうしてサッカーを始めたんですか?
ラジオの力
■三浦さん 小学生のころに引っ越した大分の小学校にサッカー部があったんです。僕は大分でも野球をやっていましたが、そのサッカー部の監督から「日本一のチームをつくりたいからウチに入ってくれ」とスカウトされて。僕は「プロ野球選手になるからいやだ」って断っているのに、2週間くらい毎晩のように家に説得に来るんですよ(笑)。

ラジオの力
■ジョージさん その監督さんは、それだけ三浦さんに才能を感じていたってこと?
■三浦さん サッカーの才能というより身体能力でしょうね。足も速いし力も強いし、当時はスポーツなら何をやってもズバ抜けていましたから。
■ジョージさん じゃあその監督さんの熱意に根負けしてサッカーを始めたんですね。
■三浦さん だから最初はイヤイヤでした。でもいざサッカーをやってみると、周りの友達はみんな先に始めているから自分よりもうまいんです。僕はそうなるとハマっちゃう。
■ジョージさん 一つのことに夢中になっちゃうタイプなんだ。
■三浦さん そうなんです!周りのサッカーが上手な友達にどうやって追いつき追い抜くか、そのためには何をすべきか考えて、とにかく正確にボールを蹴れるようになろうと。それで、練習が終わって家に帰ると、毎晩欠かさずにリフティングやキックの練習をしました。おかげで成長も早くて、4年生のころにはもう6年生の試合に出ていたんです。
■ジョージさん 小学生でそれだけ考えられるのもすごいし、そうやって努力できるのもすごい!でも三浦さんが小学生のころは、まだJリーグがありませんでしたよね。プロを意識したのはいつですか?
■三浦さん やっぱりJリーグが始まった年ですね。僕は国立競技場のオープニングゲーム(1993年5月15日、ヴェルディ川崎対横浜マリノス)をゴール裏で見ていたんです。本当にすごい盛り上がりで、「俺もここでプレーするぞ!」という気持ちになりました。


生放送中に歌ってません?

才能よりも"考える力"で勝つ

サッカーのセンスは人並み?

才能よりも■ジョージさん
プロ生活のスタートは横浜フリューゲルスですよね。選手としては最初から順調だったんですか?
■三浦さん 1年目は全然ダメでしたね。ずっとサテライト(二軍)暮らしで、1試合も出してもらえなかったんです。僕は1年目から出て当たり前と思っていたから本当に悔しくって。このままではダメだと思って、「海外で修業をさせてください」とチームにお願いしたんです。
■ジョージさん どこの国に行ったんですか?
■三浦さん 同じチームの前園真聖さんがアルゼンチン留学から戻って活躍していたので、チームからは「アルゼンチンに行きなさい」と言われました。でも僕の答えはノー。なぜなら、当時のフリューゲルスはゾーンプレスを中心にイタリアの戦術を取り入れていたんです。チームで試合に出るためにはどの国がベストかと考えたら、やっぱりイタリアだろうと。それでセリエBのコモというクラブに行かせてもらったんですね。
■ジョージさん イタリア語は話せたんですか?
■三浦さん いや、まったく(笑)。最初は本当に苦しかった。言葉は分からない、クラブでも日本人にサッカーができるのかって馬鹿にされて。でも負けませんでした。それで契約が終わる3カ月目には「残ってくれ」とまで言ってもらったんです。
■ジョージさん 僕はイギリスで生まれて12歳の時に日本に来たんだけど、やっぱり言葉も文化も違う土地での生活は大変だと思います。そんな環境でチームから認められたのはすごいことですね。
■三浦さん 結局はフリューゲルスから「来年は使うから」と言われて日本に戻ったのですが、イタリア留学は本当に良い経験でした。サッカーの技術も精神的にもレベルアップできましたからね。
■ジョージさん フリューゲルスに戻って最初に出場した試合のことは覚えていますか?
■三浦さん もちろん覚えています。最初の試合は緊張でもうガチガチ。僕は学生時代からずっとフォワードや攻撃的ミッドフィルダ―だったんですが、デビュー戦はウイングバックという守備的なポジションで出場したんです。実は1年目にもコンバートを打診されていたんですが、「やりたくないです」って生意気言って。
■ジョージさん やっぱり点を取るポジションにこだわりがあったんだね。
■三浦さん そうですね。でも2年目はさすがに試合に出ないとプロとして食っていけないと思い「やります!」と。そこから年間50数試合にフル出場して、当時の連続試合出場記録も作りました。
■ジョージさん ほんとに!?
■三浦さん 僕はサッカーのセンスは並みだと思うんです。もっと才能がある人なら、何も考えずにドリブルしても相手を抜けちゃう。でも自分にはできない。それなら、自分はどうすれば勝てるのかって考えるんです。こういうフェイントなら相手を抜けるとか。そのためにフェイントの種類を増やそうとか。とにかく才能がある選手にどうやって勝つかをずっと考えていましたね。
■ジョージさん三浦さんと言えばやっぱり無回転シュートだよね。あれも、そんな"考えるサッカー"から生まれたんですか?
■三浦さん 無回転シュートは高校時代の練習でのミスキックから生まれたんです。地面を蹴っちゃって変な回転のボールが行ったので、「今のはどうしてだろう?」って。こだわりがありすぎて、無回転の話は止まらなくなっちゃうんですけど(笑)。とにかく、僕には才能に頼るんじゃなく、「考える力」を持ち続けたから長くプロでやれたんだと思いますね。

伝えるって何だろう?


「好き」が燃料なんです!

挫折を乗り越える夢の力

やっぱり監督になりたい?
■ジョージさん プロのアスリートっていい時はファンから称賛されるけど、悪いときはブーイングもされる。たとえばサッカーなら連敗したり降格の危機があったり、そういうピンチのときに三浦さんはどんなマインドを大事にしていたんですか?
■三浦さん 正直、僕のサッカー人生はいいことよりも苦しいことの連続でしたからね。横浜フリューゲルスという最高のチームに入ったのにそのチームが消滅しちゃうし、アトランタオリンピックでは予選で活躍したのに本番では落選しちゃうし。日韓W杯もトルシエ監督は「ケガが治れば選ぶから」って言ってくれていたけど、悔しいことに治すことができなかった。
■ジョージさん サッカー選手にとって代表は大きな夢だから、それは落ち込むよね。
■三浦さん ホントにショックだし落ち込みました。でも、僕はすぐ頭を切り替えて、次の目標を設定するんです。たとえばオリンピックがダメなら、「次はA代表を目指そう」って。そうやって頑張っていたら、A代表にも入れたし、シドニーオリンピックにオーバーエージ枠で呼んでもらったりといいことが起こるんです。でも最後のドイツW杯では、チームの降格と重なって当落選上にも残れませんでした。W杯には縁がなかったですね。
■ジョージさん ヴィッセル神戸の時代だね。
■三浦さん あの時はジーコ監督が「代表はJ1からしか選ばない」と言っていて、チームからも「アツがワールドカップという夢を叶えるためにはJ1のチームに行った方がいい」と言ってくれたんです。でも僕は自分の夢のためだけにJ2に落ちたチームを去ることはできませんでした。
■ジョージさん 感動した!自分の夢よりチームを優先するなんて、三浦さんは男だよ!
■三浦さん 結局、W杯は縁がなかったけど、チームメートや神戸のサポーターとの結束力だったり、それ以上のものを得ることができましたからね。引退試合にも神戸のサポーターがたくさん来てくれて。自分の選択は間違ってなかったなと思いましたね。
■ジョージさん 今は解説者として大活躍ですが、やっぱりファンとしては三浦監督が見たい!野球でもサッカーでも、天才的な選手より現役時代に苦労した選手の方が名監督になれるって言いますよね。三浦さんはまさに名監督になれるんじゃない?
■三浦さん いつか監督はやりたいですね。僕は現役時代から監督業には興味があったから、どのチームでもミーティングが楽しみだったんです。「この監督は何を話すんだろう?」って。今の解説者の仕事にしても、一番いい場所でサッカーを見て監督の話を聞いて、自分のサッカー観を語ることができる。話すことは考えることだから、本当に勉強になっています。最近は子供たちにサッカーを教えるスクール事業も始めましたが、それもJリーグの監督という目標が原点にあるんです。
■ジョージさん すべてが夢につながっているんですね。僕はもちろん日本のサッカーも大好き。日本のサッカーが強くなるためには、三浦さんのようなマインドを持った指導者が必要だと思います。三浦監督が誕生するのが今から楽しみだよ!
■三浦さん コミュニケーションの取り方も監督業にはすごく大切。だから今日もジョージさんのオープンな姿勢やハートの持ち方にすごく学びました。変な監督にならないように頑張ります(笑)。
■ジョージさん 三浦さんなら絶対できる。今日は楽しかった!本当にありがとう!


やっぱり監督になりたい?

やっぱり監督になりたい?

やっぱり監督になりたい?

やっぱり監督になりたい?
●撮影協力:カフェ&レストラン ドルフィン
住所:神奈川県横浜市中区根岸旭台16-1
TEL:045-681-5796






Message for you !

対談を終えて

From
GEORGE


プレーヤーとしては引退したけど、三浦さんのサッカーはずっと続いているんだなと感じました。とても熱いマインドを持っていて、監督という目標に向かって常に考えて学ぼうとする三浦さんの姿勢から、僕もホントに刺激を受けました。素晴らしい監督になってくれるのが、今からすごく楽しみ! 今後もずっと応援しているので、頑張ってください!!

From
ATSU


今日は何を話そうかと思って来たけど、最初にお会いした瞬間にジョージさんの世界に引き込まれました。やっぱりジョージさんは空気づくりが最高に上手で、初対面とは思えないほど話し込んでしまいました。コミュニケーションは相手への愛情が大切ということを今日は対談を通して教えてもらったと思います。ジョージ監督、今日は本当にありがとうございました(笑)。



ジョージ・ウィリアムズ
ジョージ・ウィリアムズ
(DJ、VJ(※))10月12日生まれ 東京都出身
オルタナティヴロックのDJ、VJとしてTV RADIO各局に出演。雑誌コラム連載やモデル出演やU-Streamで番組発信なども行う。日本とイギリスのハーフ。趣味はスポーツ(自転車)、旅行、音楽全般。※ビジュアルジョッキー。音楽番組などで司会進行を務める職業。音声と映像の番組の司会役。
三浦淳寛
三浦 淳寛 (サッカー解説者)
7月24日生まれ大分県出身
1994年に横浜フリューゲルスへ入団し、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ1969、ヴィッセル神戸、横浜FCで活躍。日本代表としては国際Aマッチ25試合に出場。2011年に現役を引退した後はサッカー解説者として活躍。現在はサッカースクールも手掛ける。現役時代は三浦淳宏(あつひろ)。




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