文章のプロが毎回テーマに沿って、3冊の本をセレクト。
作家という書き手の視線で選ばれた本の魅力をご紹介いたします。
藤沢周さん
作家。もう師走か、と思うのと、まだ師走か、と思うのとどちらが良かろう。
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無意識の奥へ踏み込む
〔1〕中沢新一『レンマ学』(講談社・二九一六円)は、時間軸に沿った線型的な「ロゴス」的思考とはまったく違う、「直観によって事物をまるごと把握する」という「レンマ」的知性の可能性に挑んだ書物。
博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)や仏教学者・鈴木大拙(だいせつ)が注目した「華厳経(けごんきょう)」の核心部へと入り込み、人間の無意識の底にある「阿頼耶識(あらやしき)」のさらに奥へと踏み込んでいく。そこに現れた風景とは!
現代数学、量子論から、言語論、生命科学、脳科学まで、人工知能(AI)ではとても辿(たど)り着けない、人間の知性の真のあり方を提示した豊饒(ほうじょう)なる書物に、新たな未来の可能性を感じ、我が鈍き脳髄や心も大興奮。これは成果主義に汲々(きゅうきゅう)とする現在の世界と人間を、大変革するのではないか。
その華厳経の厖大(ぼうだい)なる知性に早くから気づいて、東洋思想の叡知(えいち)の深さを提示し続けた〔2〕井筒俊彦の『意識の形而上学(けいじじょうがく)』(中公文庫・七四一円)は、同『意識と本質』(岩波文庫・一一五六円)とともに必読の書。
「一即多、多即一」の宇宙論を持つ華厳経と、大乗仏教の中心教義である大乗起信論を元に、人間の未知なる知覚の扉を開く畏怖すべき書である。人工知能にヒーヒー言い、ロゴス的認識に慣れてしまった現代の我々にこそ、宇宙大で自己と世界を捉える思考法は、救いでもあり光でもあるのだ。
前三著は少しく難解ではあるが、「レンマ」や「大乗起信論」の思想を、芸能の分野で世間に表現したのが、たとえば世阿弥の能ではなかろうか。〔3〕観世寿夫(かんぜひさお)『心より心に伝ふる花』(角川ソフィア文庫=品切れ)は、「昭和の世阿弥」と言われた著者が、分かりやすく世阿弥の能楽について書いた名著。
「我(わが)心をわれにも隠す安心」という世阿弥の言葉が『花鏡(かきょう)』にあるが、演じる、舞うという自らの意識すらを捨て、その捨てるという意識をも忘れる状態こそベスト。その時、基本の扇を上げる仕草(しぐさ)だけでも、宇宙全体を動かし、まるごと網羅しているのである。「万能(まんのう)を一心(いっしん)にて綰(つな)ぐ」とは、これ也(なり)。「無心の位」なるものを、よくよく学ばねばならぬか。秘伝也。(作家)
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『レンマ学』
中沢新一 著
(講談社・2,916円) -
『意識の形而上学(けいじじょうがく)』
井筒俊彦 著
(中公文庫・741円) -
『心より心に伝ふる花』
観世寿夫(かんぜひさお) 著
(角川ソフィア文庫=品切れ)
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