-
-
2019年(平成31年)10月09日(水曜日)
カラオケ館や庶民的な酒場(「いづみや」というのが有名)が目につく駅前を出たバスは、旧中山道を北進して北大宮駅の横のアンダーパスをくぐると、少し先を右折する。今回、僕がこのバスに乗ろうと思い立ったきっかけは、富士フイルムの工場の先に存在するバス停・盆栽踏切。
盆栽踏切――バスナビ(アプリ)の路線図でこの停留所を見つけた瞬間、なんともいえない旅情をかきたてられた。もちろん、これは近くに存在する、「大宮盆栽村」に関係したバス停なのだろうが、なんとしてもこの盆栽踏切から盆栽村の界隈へアプローチしたい。
さて、「盆栽踏切」の本体は、バス停から百メートルほど南下した東北本線に設備されている。とくにこの踏切に“盆栽のオブジェ”なんかが装飾されているわけではないけれど、渡った向こう側にいわゆる盆栽村の中心地が広がっている。
そちらに行く前に踏切近くのそば屋「きくち」で昼食をとっていこう。廊下の向こうに裏庭が眺められる、京都の町家のような佇まい。僕らが通された小座敷の床の間にも小さなマツの盆栽が飾られていた。玄関先に“本日入荷”と掲げられていた松茸(1600円はお値頃!)と鴨焼きなどをもらって、スタッフ各人好みのそば(僕は3種のそばが盛られた天せいろ)を食べたが、どれもおいしかった。とくに肉厚で柔らかい鴨(合鴨)がいい。
盆栽踏切を渡ると、道づたいに桜が植えこまれている。幹が曲がった老木が目につくから、かなり古くからの桜並木だろう。ちょっと成城や深沢あたりのお屋敷町を思わせる。ところで、“盆栽村”というのは、映画村なんかと同じ俗称だが、ここは地図に載る行政上の町名も盆栽町で、大宮盆栽町郵便局というのもあれば、盆栽ナンタラハウス…みたいな名義のマンションやアパートも見受けられる。
桜並木を成城や深沢の町並にたとえたけれど、住宅も垣根や庭木を設えた立派なお屋敷がほぼマス目状の区画に配置されている。マンションやアパートになったところも含めて、もとは盆栽を作る盆栽園の敷地だったのではないだろうか…。
-
JR大宮駅東口にて集合。ここから、盆栽踏切のバス停留所へ向かいます。
-
天気もよく取材日和。今回も珍名踏切で記念撮影できました。
-
閑静な住宅地の一角にある「手打ちそば きくち」にて、昼食。和の風情がある庭園の雰囲気も楽しめます。
盆栽村のこの地が晩年の住居だったというが、もともと大宮駅近くの中山道宿で生まれ育った生粋の大宮人だったようだ。
この漫画会館のある道は「かえで通り」、少し先の横道は「しで通り」といった具合に、各樹木を植えこんだ通りの名が表示されているが、「もみじ通り」の一角にある盆栽の老舗「九霞(きゅうか)園」に立ち寄って、3代目の村田行雄さんに盆栽村の歴史を伺った。
「大宮の盆栽村が立ち上がったのは1925年、大正時代の終わり…関東大震災で焼け出された千駄木あたりの盆栽園が移ってきたんですよ」
千駄木というと、こういう盆栽屋が漱石の「三四郎」なんかに描かれた団子坂の市の菊人形なども作っていたのかもしれない。
「盆栽の栽培に適した広い土地、きれいな水、空気、土(関東ローム層の赤土)を求めて大宮の地を選び、東京都文京区の大和郷(やまとむら)を参考に町づくりが始まりました」といった解説が九霞園のHPに書かれているが、本駒込6丁目のお屋敷街・大和郷をモデルにしたというこの説は興味深い。
ちなみに九霞園を開いた初代・村田久造氏は大学時代に病気療養でこの地にやってきて、盆栽村開村時からいまも続く「蔓青(まんせい)園」で仕事を習って昭和4年に園を始めた。数年前、相続税の関係で敷地の多くを住宅に切り売り、庭の規模は狭くなってしまったが、由緒ある“お宝盆栽”がいくつもある。
昭和8年頃から数年間、国後島で採取してきたという“ヴィンテージ物”のエゾ松、三笠宮家、秩父宮家が所蔵していた五葉松…値が付けられない(つまり非売品)盆栽が平然と陳列されていた。
-
大宮盆栽村の案内板。この村一帯の道は、植えてある樹々にちなんだ名前が付けられています。
-
日本近代風刺漫画初代でもある“北沢楽天”のミュージアム「さいたま市立漫画会館」にて。楽天の資料もあり、漫画文化の時代の流れを知ることができます。
-
皇室の盆栽や政財界の盆栽を代々管理してきた歴史ある「九霞園」にて、お話を伺いました。敷地内には希少な盆栽があり、釘付けになりました。
盆栽の名品を鑑賞。
初歩的な盆栽鑑賞法として、①正面を見極める(幹や枝の形をよく見る)②下から見上げる、といったセオリーがあるようだが、いくつかの“符丁”が耳に残った。たとえば、ジン・シャリ。年季が入って白く枯れた枝をジン(神)、同じく白枯れした幹の部分をシャリ(舎利)と呼ぶのだ。その当て字からして、神々しい表現なのだろう。
折れ曲がった幹、枝葉の格好によって、吹き流し、懸崖(けんがい)、根連(ねつら)なり…なんてオツな名称があり、盆栽の育成で一番大切なのは結局「水遣り」(毎回の水のやり方)である…といったことを伺った。
-
美術館の担当者より、盆栽の楽しみ方を教えていただきました。歴史から見どころまで、日本の伝統文化でもある“盆栽”の魅力がたっぷりでした。
-
推定樹齢はなんと、350年だそうです! 四季によって見え方が変わるのは、盆栽の魅力の一つ。
-
2階から眺めた盆栽美術館の庭園。庭園内は通常撮影NGですが、取材のため許可をいただきました。
“氷川参道”をのらりくらり散歩。
帰路は美術館の東方の産業道路を走るバスに乗ってみたい。<大47>というこちらのバスは、日に数便しかないレアな路線なのだ。
「盆栽入口」というバス停(この名も、事情を知らない人が見たらナンだ?って感じだろう)で待っているとき、<結婚式場 宴会 清水園>の看板が目にとまった。~園の名義からして、ここももと盆栽園か…とイメージしたのだが、明治時代に氷川神社(大宮公園)の参道で割烹料理屋として始まった老舗らしい。が、大宮の盆栽村を立ち上げた盆栽園(清大園)の主人の名も清水姓だったはずだから、何らかの縁はあるのかもしれない。
バスを途中下車して散策した大宮公園は、氷川神社の境内を中心にした一帯だが、公園としての歴史も古い(明治18年開園)。一角にある野球場(大宮球場)では昭和9年に来日したベーブ・ルースの日米野球も行われた。プロ野球の会場に使われていた時代もあった。
氷川神社は“武蔵一宮”と冠された、大宮の地名の源ともいえる場所。本殿に近い横道から入ったので、まず本殿の前で参拝してから、三の鳥居、二の鳥居…と駅の方へ向かって長い参道を歩いた。何度か歩いた参道だが、本日はクスノキやケヤキの高木のたもとに伸びはじめた若木についつい目がいく。
あれ、いい感じの盆栽になるんじゃないかなぁ…。もちろん、勝手にひっこぬいて持ち帰るわけにはいかないが…。
-
盆栽美術館の駐車場の一角には手頃な盆栽が販売されています。初めて育てる方にも良心的なお値段です。是非、訪れてみてください。
-
今回の珍名スポット第2弾です。このバス停から一行は大宮公園へ向かいます。
-
歴史ある氷川神社の氷川参道。日本でも最長といわれるほど立派な参道です。ケヤキ並木を見ながらの散歩もおすすめです。

「東京深聞」過去2年分(第1話~第24話)が東京新聞の書籍「大東京のらりくらりバス遊覧」として、全国書店にて販売中!
▼▼▼
-
-
泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。
-
-
なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/
バックナンバー
-
日本橋から新富町へ江戸バスで江戸気分の老舗めぐり
東京の中心、日本橋から江戸バスに乗り、コラムニストの泉麻人さんが、人形町や新富町の江戸情緒を楽しめる老舗店をめぐります。イラストレーターの、なかむらるみさんのイラストとともに、「泉麻人の東京深聞」で旅行気分を味わってください。
-
大宮 盆栽村の盆栽踏切
埼玉県にある大宮駅から路線バスに乗り、コラムニストの泉麻人さんが目指したのは盆栽村。イラストレーターの、なかむらるみさんのイラストとともに、「泉麻人の東京深聞」で旅行気分を味わってください。
-
奥多摩から行く山梨の秘境・丹波
JR青梅線の奥多摩駅から山梨県の丹波山村を目指し、コラムニストの泉麻人さんが、路線バスでぶらりと旅します。イラストレーターの、なかむらるみさんのイラストとともに、「泉麻人の東京深聞」で旅行気分を味わってください。
-
江戸川おもしろバス巡礼 棒茅場・三角・雷・名主屋敷
昔ながらのおもしろい名前のバス停が集まっている江戸川区を、コラムニストの泉麻人さんが、路線バスでぶらりと旅します。イラストレーターの、なかむらるみさんのイラストとともに、「泉麻人の東京深聞」で旅行気分を味わってください。
-
ズーラシアの森と謎のクラシック鉄橋
横浜の人気スポット“よこはま動物園ズーラシア”。
-
新大久保コリアン街から夏目漱石地帯へ
新宿駅の南口の景色のなかに「バスタ新宿」もすっかり定着してきた。このビル型のバスターミナルに出入りするのは、