東京新聞ほっとWeb > 泉麻人の東京深聞 > 日本橋から新富町へ江戸バスで江戸気分の老舗めぐり
  • 2019年(平成31年)11月13日(水曜日)
 東京のコミュニティバスにも何度か乗ってきたけれど、都心のド真ん中・中央区を巡回する江戸バスというのがある。これを使って、日本橋界隈の“江戸気分”のスポットを散策しようというプラン。
 日本橋の橋上、青銅の麒麟像の前に集合した。この翼のある麒麟の彫刻などを欄干にあしらった、現在の日本橋が竣工したのは明治時代の終わりのことだが、広重の東海道五十三次で知られるとおり、日本橋は江戸の頃から日本随一の有名橋だった。橋の北詰には、道路の起点を表す石碑がある。
 三越の手前を曲がって外堀通りの方へ行くと、一石橋の脇に「迷子しらせ石標」というユニークな史跡がある。首都高のたもとの見落としそうな地味な石柱だが、いわゆる“伝言板”の原点なのだ。片側に“たづぬる方”、もう片側に“志(し)”らす類(る)方“と彫り込まれていて、つまり迷子になった子の名を記して“たづぬる”の側に貼り出すと、発見者が“しらす”の側に情報を寄せる、というしくみ。安政4年(1857年)に設置されたらしいが、つまり、この辺は迷子が頻繁に出るほどにぎやかな場所だった、という証なのだ(湯島天神や浅草寺にも同じものがある)。
 常盤橋際の公園に立つ渋沢栄一像をちらりと眺め、威風堂堂とした日銀本店(明治29年竣工)を横目に本石町三丁目から江戸バスに乗ろう、と思っていたら、すんでのところで赤い江戸バスは行ってしまった。ほぼ20分間隔のバスを待つ間、三越のライオン像の前から向こう側のコレド室町の方へ渡って、ビルの裏庭のようなところに再建された福徳神社に立ち寄る。800年代後半に創建されたという古社だが、昭和の戦後は長らく周辺のビル屋上にひっそり祀られていたという。
 福徳神社の奥にもう1つ、薬祖神社というのがあるけれど、これはその名のとおり、薬祖神というのを祀った薬の神社。周辺の日本橋本町界隈は大阪の道修町にあたる、薬品会社の密集地帯なのだ。
 さて、本石町三丁目からいよいよ江戸バスに乗車、赤いカラーに丸っこい猫キャラが描かれている。このバスのルート、新日本橋駅の交差点からそのまま広い江戸通りを進んでいくのかと思ったら、一旦三越の方へ戻って、「江戸桜通り」の表示が出た一方通行の道に入っていった。日本橋保健センター、なんていうコアな施設名の停留所がコミュニティバスらしい。“裏日本橋”みたいな街並を通りぬけて、堀留町から小伝馬町、馬喰横山あたりの問屋街、浜町の明治座前から清洲橋が垣間見える中洲の方を回って箱崎町から人形町へと上ってきた。
  • 深聞1

    映画にもなった『麒麟の翼』で有名な麒麟像の前で集合。日本橋から江戸バスに乗って“江戸気分”を堪能します。

  • 深聞2

    「一石橋迷子しらせ石標」。江戸時代当時、迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼って、告知板として使われていたもの。

  • 深聞3

    本石町三丁目から水天宮前まで、江戸バスの北循環という路線で移動しました。築地や晴海方面を走る南循環の路線もあります。

江戸情緒あふれる“人形町”で歴史に触れ、
日本文化の今昔を体験。
 水天宮前で降車、人形町の交差点まで歩いてきた。ひと頃まで目についた、2階建の背の低い商店も随分少なくなってしまったが、堀留町寄りの右側に「うぶけや」という老舗が昔の佇まいのままがんばっている。
 かつて寄席の末広亭が建っていた並び。手元にある「1960年代の東京」(毎日新聞社)という写真集に65年撮影のスナップが載っているが、入母屋造りの末広亭の隣がアリナミンやハイシーの看板を出した薬屋、その隣りの「うぶけや」の姿だけはいまと同じだ。 包丁、ハサミなどの刃物を製造販売するこの店の創業は天明3年(1783年)。当初の地は大阪だったが、1800年代に江戸の掘留町界隈に移ってきて明治維新にはいまの場所に店を開いていた。
 壁に明治期の“文化財の鋏”が展示されている。弥吉、作次郎、といった名職工が手掛けた一尺二寸(36センチ)の立派なハサミを眺めていると、刃の微妙な曲線、ネジの形…パーツの1つ1つに味があって、道具を超えた工芸品の趣きがある。
 現行のハサミも様々な種類がある。花鋏、紙切鋏…蚕体鋏(さんたいばさみ)というのは今どきはまゆの手入れにも使われているが、その名のとおり、もとは蚕(カイコ)の眉ならぬ繭に切り込みを入れる養蚕作業で使われていたのだ。 ちなみに、「うぶけや」の屋号は、うぶ毛も剃れる、切れる、抜ける刃物という意味合いだ。
そう、なかむら画伯は持参した包丁の刃研ぎを依頼していたが、こういう手入れや修理もやってくれる。
 包丁の話が出たところで、ちょっと腹も減ってきた。「来福亭」でランチを取ることにしよう。
 人形町は洋食の名店が多い町だが、この店は人形町通りの甘酒横丁交差点を南西方へ入ってすぐの合手。昼どきは店前に「玉ひで」の長い行列(親子丼目当て)ができているが、ここは割合とすんなり入れる。もっとも、この日は11時半で1階のテーブルは満席だったが、予約を取っていたので、2階の座敷間に通された。何度も来ていて2階は初めてだが、玄関脇の急な階段をくねっと上っていく感じは、いかにも花街洋食の古い店らしい。
 昔、話を伺ったときに“明治37年の創業”と聞いて、僕の著書にも書いているのだが、顔なじみの女性店員に確認をとったら「あら、もっと後、昭和でしょ?」といわれて、よくわからなくなった。ともかく、今の木造2階屋は戦災で焼けた後の昭和23年頃の築という。ここに来ると頼むのは、カニヤキメシというメニュー。いわゆるカニチャーハンだが、日本風のヤキメシって感じのショウユ風味がいい。なんたって、カニヤキメシって語感が絶妙だ。これにカキフライなど頼んで、食後は並びにある大正8年創業の古典喫茶「快生軒」へ。~軒という名義も古いが、屋号の冠も“喫茶去”(きっさこ)という独特の呼称が付いている。酸味の効いた熱い珈琲は、いかにも昭和の町喫茶のウマい珈琲の味だ。
深聞4

江戸時代から続く刃物の名店“うぶけや”にて。伝統を受け継がれてきたお店の外観は今も変わらず残されています。

  • 深聞5

    日本で初めて裁ちバサミを作った弥吉の裁ち鋏もショーケースに展示されています。

  • 深聞6

    「来福亭」で、カニヤキメシとカキフライをいただきました。100年以上の歴史がある老舗洋食店です。

  • 深聞7

    ランチ後はこちら「快生軒」にてコーヒーブレイク。大正8年から続く老舗喫茶です。

江戸バスに乗って、向かう先は新富町。
歴史が深い足袋専門店「大野屋總本店」へ。
先の江戸バスの人形町駅の停留所は来福亭のすぐ先にある。道の向かい側は谷崎潤一郎の生家が建っていたところで、いまも「谷崎」とか「細雪」とかの看板を出した小料理屋が存在している(谷崎氏との因果はわからない)。
こちら方向のバスも、日本橋区民センター、箱崎湊橋通り、なんていうコアな停留所を通過して、新川から八丁堀に入って終点の中央区役所の前へやってきた。ここを起点に築地や佃、晴海の方を循環するバスも出ているようだが今回は乗らない。
区役所のすぐ前の首都高の上に架かる三吉橋は、川が流れていた時代からT字の分岐点に渡されたY字型の橋として珍しがられていた。この橋を新富2丁目の側に渡って、ちょっと行った先、新富橋脇の十字路の角に建つ足袋の「大野屋總本店」に立ち寄った。
屋根と同じ側に軒が突き出した、古めかしい出桁(だしげた)造りの建物、僕はこのあたりを散歩するたびについついカメラに収めてしまうほど気に入っている。が、店内に入って、店の主にちゃんとお話を伺うのは今回が初めてだ。
取材に応じてくださった店主の福島茂雄氏は50代初めの世代というが、イメージしていたこの店の主にしては若々しい。大野屋は1770年頃、安永年間に三田で創業、ここ新富町に移ってきたのは嘉永2年、1849年の記録があるという。当時、すでに足袋の生産はしていたが、明治5年に新富座、さらに明治22年に歌舞伎座が開場して、歌舞伎の役者と周辺の新橋、新富芸者…といった梨園、花柳界の人たちが重要な顧客になっていく。とくに、役者の足もとを細く、美しく見せるべくデザインされた足袋は“新富形足袋”の俗称で親しまれている。
  • 深聞8

    江戸時代から続く足袋の老舗「大野屋」。現在も日本を代表する歌舞伎役者たちを支える足袋が作り続けられています。

  • 深聞9

    足の形は全部で4種類。個々に合わせた形、サイズを選ぶことができます。

  • 深聞10

    昔ながらの被服裁断機。今も足袋を作るときに必要なもの。

老舗の伝統と技術を受け継がれてきた「大野屋總本店」の足袋づくり。
さて、僕が気に留めていた現在の建物は、さすがに明治の頃からそのまんま、というわけではないけれど、大正の関東大震災の直後に建築されたもので、昭和20年の空襲には焼け残った。その後、骨組に鉄骨を入れて耐震補強も施されている。
1階の品棚には伝統的な新富形足袋から手ぬぐい、福足袋と呼ばれる赤ん坊に履かせる可愛らしい足袋も並んでいるが、この辺は“装飾グッズ”として外国人観光客に人気らしい。先代主人がイラストを描いたというキュートなイノシシの柄の手ぬぐいもある。
ところで、今回おもわず声をあげてよほど興奮したのは、店の裏方を案内してもらった。まず、板床のフタを開けると、秘密めいた階段があって、倉庫に使われている地下室が現れる。かなり奥まで掘りこまれているこのスペース、もとは戦時中の防空壕に使われていたらしい。
1階の奥の書庫のような場所には、お得意客の足袋の型紙が保管されている。ここで詳しく名前などを挙げることはできないが、ちらりと見せてもらった有名歌舞伎役者や女優さんの“足型”に目が点になった。採寸した日付、修正した日付、などが細かく記されているようだから、これはちょっとした“裏芸能データバンク”といえる。
そして、天井を突き抜けるようなハシゴ段を上っていった2階は足袋の製造工場になっていて、老若10名ばかりの職人が黙々と働いていた。机のミシンの大方が黒い年代物のジューキミシンで、とくにベテラン職人が使っている“HAPPO”のロゴが入った爪先用のミシンは、昭和初めのドイツ製というから、何代も受け継がれてきたのだろう。
そう、年季の入った裁ちバサミも目につく。
―この前に人形町の「うぶけや」さんを訪れてきたんですよ
ためしに伺ってみたら、
―ああ、何本も使ってますよ。お世話になってます。
ご主人からうれしい答えが返ってきた。
  • 深聞11

    店内には地下室があり、以前は戦時中の防空壕として使われていたそうです。

  • 深聞12

    柄もカラフルで種類も豊富なので、思わず釘付けになります。プレゼントにもぜひ。

  • 深聞13

    足袋職人が使っているドイツ製のジューキミシン。裁ちバサミは、本日取材した「うぶけや」さんのものだそう。

イラスト2
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PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日』(文藝春秋)がある。
    https://tsumamu.tumblr.com/

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