東京新聞ほっとWeb > 泉麻人の東京深聞 > 草加せんべいを焼いて、酉の市の発祥地へ
  • 2019年(令和1年)12月11日(水曜日)
 東武の竹ノ塚駅は、以前西口から川口の安行の方へ行くバスに乗ったことがあったけれど、こんどは東口から出る花畑桑袋団地行のバスに乗る。
 東口は駅前から昭和スタイルの団地が広がっているが、これは僕が小学生だった昭和40年代初めにできあがったもので“田んぼのなかのアパート”とかいわれて話題になったことをおぼえている。久しぶりに乗ったオレンジ色の東武バスは旧日光街道を北上して、清掃工場の先で広いバイパス(日光街道)と合流する。埼玉との県境になっている毛長川の橋を渡った先の瀬崎町で途中下車、街道ぞいをちょっと北に向かって歩く。
 この辺から1軒、2軒…ぽつぽつと目にとまるのが“草加せんべい”の店の看板だ。今日まず訪ねようと取材のアポをとった「いけだ屋」という店は、谷塚駅入口の先の交差点の角に建っていた。店に入る前、ふと目についたのが道の向かい側の角に置かれた。“火あぶり地蔵”という野地蔵。いわゆる身代わり地蔵の一種だろうが、なんとなく火であぶるせんべいとの因縁を感じる。
 「いけだ屋」は街道に面して店があり、傍らの立派な門をくぐった奥に工場と社長の住まいが配置されたなかなかの規模。今回じきじきにせんべい作りをする工場を案内してくださった社長・池田彰(あきら)さんは5代目にあたるという。
 「この辺は日光街道の草加の宿場だったところでして、そもそもだんごを売る茶店から始まったといいます」
 草加せんべいの発祥について「いけだ屋」のHPにはこう記述されている。
 「その発祥は『おせん』という老婆が、あまっただんごを焼いたことにはじまるとされています。以来、草加は二合半領という穀倉地帯でできる、良質な米と天然の良水に恵まれ、さらに江戸川流域での醤油の誕生とが重なって、その名を全国に知られることになりました」
 いけだ屋がせんべい屋として創業したのは江戸幕末の慶応元年というが、ここは大正の震災や戦争の空襲を免れたらしく、工場の内部のつくりなどは実に年季が入っている。たとえば、火を入れる前の型抜きされたばかりのせんべい皮が、金網張りの素朴な台の上に載せられていたが、代々と継承されてきた道具なのだろう。ここに来る途中、トタンの看板を掲げた古めかしい金網屋を見掛けたが、ああいうところでせんべい生産用の金網なんかも作っていたのかもしれない。 
  • 深聞1

    オレンジ色が際立つ東武バスに乗って、竹ノ塚駅東口から瀬崎町へ向かいました。

  • 深聞2

    瀬崎町と吉町との境にある「火あぶり地蔵」。母と娘の悲話が今も伝えられています。

  • 深聞3

    草加せんべいの伝統の味を受け継ぐ「いけだ屋せんべい」へ取材にいきました。

歴史ある本場の草加せんべい“いけだ屋”にて、
せんべい焼体験。
 うるち生米を製粉し、練り、せいろで蒸して、また練って、あくぬきして、搗(つ)いて、型ぬきし、乾燥させ…それからようやく焼きや味つけの工程に入る。僕らが見たのはほんの部分的な段階だけだが、つまり、安い菓子の割には手間が要るのだ。
 乾燥の段階で行われる天日干しの光景を昔の写真集で見たことがあるが、いけだ屋ではいまも社長宅の黒瓦の屋根上にせんべいを並べて、晴れた日に天日干しが行われるという。
 ところで、せんべいの型は丸いものばかりではなく、小判のような長丸、桜のような花型…いろいろある。保管された金型のなかに“力士”とか“軍配”とか記されたものがあったが、いけだ屋は古くから角界との縁があってこれらのせんべいは国技館をはじめ、各場所の大相撲会場で販売されるらしい。
 工場での本格的な作業を少し見学した後、外に設置されたキャンプのバーベキュー台みたいなスぺースで“手焼きせんべい”の体験をさせてもらった。
 ガスバーナー式の鉄板上に白いせんべい皮を載せ、押し瓦(がわら)と呼ばれる小型のアイロンみたいな格好の重しでギュッとプレスしては迅速に裏返しにして、焦げ目がつくくらいまで焼く。それからササッと醤油を塗りつけるのだ。このとき、細い筆を使って、絵や文字を描くやり方もある。僕はまず“バスゆうらん”と記そうとしたが、途中でボタッと醤油をにじませて、わけがわからなくなった。なかむらさんはさすがプロの画伯らしく、手早くオジサンのスケッチを描きあげた。焼いて醤油の焦げ目を引き立たせると、これはちょっとした商品になりそうだ。
 売店には伝統的なせんべいも並んでいたが、その脇のカフェ風スペースには、ユニークなメニューも用意されている。焼く前のモチ状のせんべい皮を甘ダレに浸した、「みたらし生せんべい」ってのをいただいたけれど、とろんとしたこの食感、そんじょそこらのみたらしだんごよりウマい。
  • 深聞4

    せんべいの金型にはたくさんの種類が。型抜きした生地は乾燥後に火を通します。

  • 深聞5

    生地を押しながら焼くことで、草加せんべい独特の固い食感が生まれるそうです。

  • 深聞6

    左が泉麻人作。右がなかむらるみ作。東京新聞のロゴマークとおじさんを書いていただきました。

酉の市の発祥の神社“花畑大鷲神社”へ行き、
商売繁盛を祈願。
 瀬崎町から再び先のバスに乗った。この瀬崎町という地名を見聞きすると、中学生のクラスで知り合ったイワイハラ君のことを思い出す。彼と仲がよかったのは中1の時期だったから昭和の44年、60年代の終わりだ。はじめて(というか1度)遊びに行ったとき、瀬崎町のかれの家から裏の町はずれの方へと探検した。あたりはオナモミというイガイガの実がつく雑草の原からやがて一面の田んぼとなって、送電線の鉄塔が向こうの方まで続いていた。バスは記念体育館通りという新開地のなかの道を八潮の方へと進んでいたが、途中送電鉄塔が見えたとき、ふと昔歩いたのはこの辺ではないか…と思った。あの当時は、まだこの一帯の田んぼで獲れたうるち米が、せんべいの材料なんかに使われていたのかもしれない。
 鉄塔の先の小川を渡るとバス終点の花畑桑袋団地。この一角は足立区の北東端が舌先のように埼玉県の側に食いこんでいる。ここから綾瀬川西岸の道を4、500メートルほど下ると、花畑大鷲神社がある。途中、傍らに桑袋ビオトープ公園というのが設置されていたが、周辺は綾瀬川に伝右川、毛長川などの細流が注ぎ込む湿地帯だった地域だから、そもそもビオトープのような水辺の自然環境が広がっていた場所に違いない。
 この花畑の大鷲神社は以前にも2、3度訪ねているが、取材当日は11月の酉の市(2の酉)、これに合わせてやってきたのである。ちょっと横道に入っていったところに参道の口がある。ふだんは人気のない場所だが、この日はさすがに門前から人が群れて、鳥居をくぐると奥へ奥へと食べ物の露店が続いている。
 足立区の本当にはずれの神社だが、実は浅草の鷲神社(こちらは“大”の字が付かない)より先に、こちらが酉の市の発祥、という説がある。
 「社伝によると、応永年間(1394年~1428年)より日本武尊の命日とされる11月の酉の日に神恩感謝の祭りが行われるようになりました。人々が集まるようになると門前市が開かれるようになり、『とのまち』『とりのまち』と称され、農耕具などが売られるようになります。これが後の『酉の市』の起源と言われています。」
 と、神社のHPに書かれている。さらに、ユニークなのは僕が所持する昭和30年代の東京案内書に記述されるこんな“トリ伝説”。
「トリの市は八百年前から続いて、祭典にはニワトリを献上し、翌朝は浅草寺の堂前で放すという風習があった」(東京風土図・産経新聞社会部編・社会思想社)
 江戸の後期から市中に近い浅草鷲神社の酉の市の方が主流になっていったというが、この説が真実とすれば、田舎道から日光街道を通って浅草寺まで鶏を運んでいたのだろう。
  • 深聞7

    バスの終点は“花畑桑袋団地”。桑袋というのは昔からの地名で、橋の名前にも使われています。

  • 深聞89

    “桑袋ビオトープ公園”では動物や植物が生きるための環境を人為的に整えています。

  • 深聞09

    平安時代後期の武将、源義光に縁があり長い歴史を持つ花畑大鷲神社。

花畑大鷲神社から浅草にある鷲神社に行き、
酉の市をハシゴ。
 さて、今回はまだ昼飯を食べていない。並んだ露店のなかの座席付きのところで、おでんと煮込みをいただいた。おでんに卵、煮込みに鶏らしき肉も入っていたけれど、おいしくいただいた。もはや、先のトリ伝説などを気にする氏子さんもいないのだろう。
 おっと、忘れてはいけない。酉の市といえば、熊手である。ここは圧倒的に食の露店が優勢で、熊手は本殿の脇道に2、3軒の店が出ているだけだったが、2、300円から高いものは10万の値を付けたのもある。僕は外商の店ではなく、神社の販売所で巫女さんが売っている“かっこみ”と呼ばれる一番素朴なミニ熊手(800円)を買った。
 酉の市の熊手を買ったところで文章を締めてもいいのだが、この門前に大鷲神社入口というバス停があって、日に2本(休日は1本)きりのレアな路線バスが停まる。14時2分のこのバス(起点は花畑桑袋団地)に乗って、つくばエクスプレスの六町(ろくちょう)駅へ出ようと思う。
 花畑の新興住宅のなかを縫うようにして到着した六町駅前、妙に大きなバスロータリーの向こうに郊外タウンらしいスーパーのライフが見える。そうか…つくばエクスプレスに乗れば浅草まで4駅、せっかくだからあちらの鷲神社の酉の市も覗いていこう。3時過ぎに入った浅草千束の鷲様はさすがにものすごい人混みだった。参拝の行列を横目に、脇の熊手の露店筋をぬけてすぐに外へ出てきたが、こういう鷲のハシゴをする人というのはどのくらいいるのだろう。
  • 深聞10

    縁起物の熊手はひとつずつデザインにこだわりが。見て歩くだけでも楽しくなります。

  • 深聞11

    取材当日は、“二の酉”だったため、屋台には多くの方に賑わっていました。寒くなってきたので、温かいもつ煮込みとおでんを昼食にいただきました。

  • 深聞12

    ミニ熊手を購入し、大鷲神社前にて記念撮影。商売繁盛を祈願してきました。

イラスト2
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PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日』(文藝春秋)がある。
    https://tsumamu.tumblr.com/

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