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  • 2020年(令和2年)3月11日(水曜日)
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    東京新聞のTOKYO発面でも好評連載中のこのコーナー。コラムニストの泉麻人さんとイラストレーターのなかむらるみさんが、電車に乗って東京近郊の街を旅する「散歩エッセー」です。
  • タイトル
    第1回
    荒川・足立 新旧鉄道の旅
    都電荒川線(東京さくらトラム) 日暮里・舎人ライナー
    イラスト1
    東京さくらトラム
    (都電荒川線)
    ▶︎三ノ輪橋―熊野前
    日暮里・舎人ライナー
    ▶︎熊野前―舎人公園
風情ある三ノ輪橋駅周辺の街さんぽ
 長らく(4年間)バスの旅をお届けしてきたが、今回からちょっと目先を変えて“鉄道”を主体に東京とその近郊を巡ってみたいと思う。もっとも、行程の途中に路線バスを使うこともあるはずだから、バスマニアの方も御愛読よろしくお願いいたします。
 新シリーズの第1回はまず都電荒川線に乗ってみよう。近頃は<東京さくらトラム>のニックネームが盛んにPRされているこの都電、東方の始点・三ノ輪橋から出発することにした。日比谷線の三ノ輪駅と少し離れた、日光街道の裏方にひっそりと停車場がある雰囲気がとてもいい。いかにもローカル鉄道の出発点、といった感じだが、そもそもこの線は戦前(昭和17年)まで王子電車という私鉄だったのだ。
 日光街道からの入り口のところに梅沢写真会館の看板を出したクラシックなビルが建っているけれど、この建物は王子電車のターミナルビルとして昭和2年に建築されたものなのだ。ビル1階の一角がトンネルのように裏へ抜けられるようになっていて、くぐるとその向こうに都電が停まっている。ほんのひと頃までこのトンネル部の壁側の小さな店で、おばあちゃんが新聞や雑誌を売っていたのだが、ここは惜しくも店閉まいしてしまった。
 さて、都電に乗る前にあたりを少し散策してみた。都電乗り場に掲示された周辺地図をよく見ると「宗屋敷跡」「大関屋敷跡」「石川屋敷跡」なんて表示がある。これらは江戸時代の大名の下屋敷らしい。なるほど、日光街道に近い郊外のこの辺は“別宅”を置くのに格好の場所だったのだろう。もっとも、地味な碑がたっているくらいで屋敷地の面影はまるでないが、明治通りの交差点やバス停の名に残る大関横丁とは、この大名・大関氏から来ているのだ。
 都電線路端の横路地からジョイフル三ノ輪の商店街に入る。アーケードの下にぽつぽつと古い商店が残っているが、とりわけ目にとまるのは路地の角に建つソバ屋の砂場。各地に「砂場」はあるけれど、ここ南千住砂場は大正元年創業の老舗(いまの建物は昭和29年築)と聞く。
 小さな弁天様(白龍・鳥居の扁額の字は“心龍”と読めるが、白龍弁財天というらしい)の脇から三ノ輪橋のホームに入ってきて、やってきた電車に乗った。僕らが乗り合わせた車両はワインレッドとアイボリーのツートンカラーに塗装した“明治の市電”調のスタイルで、車内や窓に“桜の花飾りを施した女の子”のキャラクターが描かれている。僕が都電に興味をもって荒川線というか、当時の27番の路線に乗りにきたのはちょうど50年前くらいになるけれど、床の油から苦い匂いがたちこめて、ぎしぎしと揺れるように走っていたあの頃の都電とは随分変わった。
 ビルが林立する町屋の駅前を過ぎて、尾久の町域に入った熊野前で降車する。車両も車窓風景も50年でかなり変貌したけれど、この熊野前、次の宮ノ前、といったあたりは王電の素朴な村時代からの名称である。
  • 深聞1

    都電荒川線の入り口「三ノ輪橋商店街」からスタート。今も残る下町の風情を感じながら、気まぐれ散歩の旅が始まります。

  • 深聞2

    明治から昭和初期の市電をイメージしたレトロ調の車両。レトロなイメージを残しつつも、車内にはアニメキャラクターが描かれていたり、綺麗に洗練されていました。

  • 深聞3

    恒例のおもしろ看板前にて記念撮影。三ノ輪橋駅のすぐ近くにある安全横丁でパチリ。

都電と日暮里・舎人ライナーが交差する駅“熊野前”
 熊野前とは熊野神社の前、という意味だったが、本体の神社はもはやない。が、神社参道の旧道に続く<はっぴいもーる熊野前>の商店街は古い。先のジョイフル三ノ輪も、確か昭和の時代くらいまで三ノ輪銀座、ここも熊野前銀座と称していたはずだが、この熊野前銀座商店街は80年代の中頃、ビートたけしの番組(天才・たけしの元気が出るテレビ!! )で盛んに宣伝されて全国に名が知れわたったことがあった。商店街を歩いていくと、その番組で中継基地のように使われていた「熊まねき堂」があって、当時話題になった“たけし顔のマネキ猫”が保存されていた。うん、しかし、たけしの顔が若い。いまどきの人には「たけし」と説明しないとわからないかもしれない。
 沿道に「喫茶 泉」という、なんともそそられる佇まいの喫茶店があり、同名の縁もあって入りたかったのだが、残念ながらシャッターを閉ざしている。幌看板に記された電話番号に連絡してみたが、通じなかった。
 この旧道は都電通りを横断して、北方の隅田川近くまで延びている。そちらへ進んでいくと、商店が途切れた住宅街の一角に洋館仕立てのレストランがある。「レストラン 山惣」という店、今回行く町をネットで調べていて見つけたのだが、上高地あたりの高原にある昔のロッジ風ホテルのような、実にシャレた建物なのだ。
 メニューを見ると、ハンバーグが名物らしい。僕は煮込みハンバーグをいただいたが、黒砂糖っぽい風味のあるデミグラスソース(煮込みなのでスープといった方が妥当か?)がとても良かった。ランチ時の店内はあっという間に満席になって、とくに隣の大テーブルで、近所の中小企業らしき会社の人々が社長を筆頭に若い新入社員を歓迎する食事会、のような催しをやっているのが、いかにも地元に根づいたレストラン、という光景だった。
 この熊野前は10年ほど前(2008年)に開通した日暮里・舎人ライナーと中継している。これは物質的な鉄のレールを走る鉄道ではなく、タイヤを履いた車両が高架の道を進む装置なのだが、まぁ新型の鉄道の1種に数えていいだろう。都電通りと交差する尾久橋通りを一直線に北上していく。
  • 深聞4

    人気バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出てきた“たけし招き猫”を発見。

  • 深聞5

    商店街を歩いて出会った『喫茶 泉』という昭和感漂う喫茶店。残念ながら、営業はされていなかったが、貴重な看板!!

  • 深聞6

    『レストラン 山惣』の煮込みハンバーグ。あつあつでとてもジューシー。お昼時のビジネスマンに人気のようで、開店後間もなく店内は満席に。

広大な舎人公園にて自然に触れ、舎人の街を散策
 隅田川の尾久橋、荒川の扇大橋を渡ると足立区に入る。高野(こうや)、江北、このあたりは70年代くらいまで田畑が目につく地域だったが、いまや車窓から見渡しても規模のある農地は見あたらない。西新井大師西、という一瞬“回文”を思わせる駅のところで東方を眺めると、西新井大師・總持寺本堂の三角の大屋根が家並の奥に垣間見える。次に谷在家(やざいけ)という農村時代の古地名を残した駅があって、その次の舎人公園はまさに公園の真っ只中に駅が置かれている。町散歩が続いたので、ちょっとこの緑地のなかを歩いてみよう。
 手元にある古地図や航空写真を時代ごとに収めたアプリをチェックすると、広大な舎人公園の一帯は1960年代前半くらいまでは果てしなく田んぼが広がる…といった状態で、70年代あたりに区画整理されて一旦宅地造成が始まろうとしていたようなのだが、その後に土地を都が順次買収して大規模な都立公園になっていったようだ。
 モミ、ケヤキ、サクラ…針葉、広葉、様々な樹木が植えこまれ、原っぱが広がる緑地の中心にじゃぶじゃぶ池という大きな池があって、何種かのカモ、サギそれとバンという黒いからだに鮮やかな赤と黄のクチバシが印象的な鳥がいる。陸にあがってきたカモのなかに、お互いのクチバシを近づけて見つめ合うラブラブカップル風のカモがいて、カメラに収めようとしたら、すぐ後ろのベンチに孫娘の肩に手をかけて可愛いがるおじいちゃん、というこれまた素敵なカップルがいて、両者を入れ込んだナイスショットの写真をゲットした。
 舎人公園の駅から終点の見沼代親水公園まで2駅なのだが、舎人(とねり)という町を散歩しながら行くことにした。この珍しい地名の由来は、歴史の教科書などに載っていた「皇族や貴族に仕えた官人」、あるいは「舎人の姓を名乗った家族」のいた地、また「小石の多い土地を表すアイヌ語」…といった諸々の説があるという。
 公園を出て北西方の入谷側の住宅地のなかを歩いていくと、先の舎人公園よりはずっと小さな児童公園に“ドカン”を模した円筒型の遊具が設置されていた。
 ドカン――従来は粘土質の土管だったが、僕の子供時代にはすでにコンクリート製のものが主流だった。なかむら画伯や40代の取材スタッフの面々は、ドカンといえば「ドラえもん」に出てくる遊び場らしいが、僕の世代は同じ藤子不二雄の「オバケのQ太郎」や赤塚不二夫の「おそ松くん」のカットを連想する。そう、オバQやおそ松が人気だった東京オリンピック前後の東京は、道路工事や下水道工事に使うドカンが所々の空地に置かれていた。つまり、当時のトキワ荘グループの漫画家の間から生まれた“遊び場のシンボル”ともいえる。
 あのドカンが安全なレプリカ遊具として公園に置かれるとは、何か時代が一巡したという気がする。
  • 深聞7

    足立区にある『舎人公園』。面積は約63万㎡もあるとても広大な公園です。スポーツを楽しんだり、自然を楽しめる場所。

  • 深聞89

    こちらがラブラブのカップル風のカモ。公園の池には、あまり見たことない鳥もいました。

  • 深聞09

    児童公園にドカーンとある“土管”。この公園の遊具は、大きな土管だけ。子供時代の遊びを連想します。

自然のオアシスを感じられる場所“見沼代親水公園”
 ちなみに、この辺の公園で目につくのは、某宗教施設の進出に反対するアジ看板。関連はないのだろうが、ひと休みしようと入ったカフェは本棚に精神世界系の本や雑誌が並び、メニューにチャネリング講座の紹介があったり、スピリチュアルなムードに満ちあふれていた。
 畑が乏しくなった、いかにも新開地の空気が漂う住宅街を歩いていくと、水路の脇に遊歩道を設えた親水公園にぶつかった。見沼代(みぬまだい)親水公園のなかを流れる水路、見沼代用水は、もとを正せば徳川家康が伊奈忠治に指揮させた利根川、荒川の流路の改革事業に端を発する。元の流れから遠のいた地域に灌漑(かんがい)の目的で敷かれた用水の1つが見沼代用水で、その名は上流の大宮東部の見沼のことだ。
 ところで、尾久橋通りの上に見える日暮里・舎人ライナーの高架線、見沼代親水公園のすぐ先でスパッと断ち切られたように終わっている。いまのところ、都営の交通だが、地図を眺めていると、以前バス旅で訪ねた川口の安行の方まで延ばしてみたくなってくる。
  • 深聞10

    日暮里・舎人ライナー。無人運転で、尾久橋通りの高架の上を走る路線は、開放感あふれる車窓から眺める景色も楽しみの一つです。

  • 深聞11

    住宅街から遊歩道を歩き、見沼代親水公園を散歩。今回の鉄道の旅は、ここ見沼代親水公園駅で最終地点としまして、帰路につきます。

  • 深聞12

    日暮里・舎人ライナーの車窓から見える舎人公園。広大な敷地に豊かな自然が残されていることがわかります。

イラスト2
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PROFILE
  • 泉プロフィール
  • 泉麻人(コラムニスト)

    1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。
    近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)など。

  • なかむらるみプロフィール
  • なかむらるみ(イラストレーター)

    1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。
    著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日』(文藝春秋)がある。
    https://tsumamu.tumblr.com/

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