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  • 山田五郎 × 千駄木

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千駄木が私のホームタウン
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今月の水先案内人
今月の街先案内人
今回のゲストは、テレビやラジオ、雑誌などでお馴染みの多彩な知識 の持ち主、山田五郎さん。長年、生活の場としてきた文京区から、特に千駄木をチョイスして、その魅力を紹介してくれました。
結婚して引っ越した社宅が
千駄木との付き合いの始まり
 山田五郎さんが生まれたのは東京の世田谷区。小学4年生から関西に移り、再び東京に戻ったのは大学に入学した時だとか。
「大学在学中に、オーストリアのザルツブルクに留学していたり。大学を卒業し、社会人になって住み始めたのは亀戸で、文京区の千駄木に住み始めたのは結婚してからです」。
 新居が千駄木になったのは、たまたま会社の社宅があったからだそうで、
「今は建て替えられて立派なマンションのようになっていますが、僕が住んでいた頃は雨漏りするほど古くて狭い社宅でした。でも、上野の美術館にも本郷の古本屋さんにも歩いて行けて、街並みにも味がある千駄木という土地には、それを補ってあまりある魅力がありましたね」。
 山田さんが千駄木の住人となったのは1985年のこと。当時、日本はバブル景気で賑わっていた。 千駄木もバブルに後押しされた開発事業の影響で、街の景観が日々変化していったという。
「その反動で、古い街並みの保存運動が盛んになってきた時代でもあったんですよ。根津に今もある『はん亭』という串揚げ屋さんの建物は、大正初期に下駄の爪皮屋さんが建てた木造三階建ての貴重な日本家屋で、今では国の登録有形文化財に指定されています。そのように、古い建物を商業施設に改修することで保存しようとする動きがあちこちで起き、結果として新しいお店が増えていく。そしてそこを訪れたお客さんが街の風情に魅せられて移り住み、街並み保存運動を盛り上げていくという、いい循環が生まれました。台東区が谷中小学校を三崎坂の街並みに合った意匠に改築するなど、行政も景観保護に取り組むようになってくれたのは嬉しかったな」。
  • 山田五郎さん

    昔からある喫茶店がリニューアルすると、決まってタバコが吸えなくなってしまうのが辛いとのこと。

  • 山田五郎さん

    以前、住んでいた社宅のすぐ近くにある公園にて。ここもきれいになったと、しきりに感心していました。

江戸時代から変わらない
街の作りも千駄木の魅力

 谷中・根津・千駄木の三地区をテーマにした地域情報雑誌『谷根千』が創刊したのも、山田さんが千駄木に住み始める直前の1984年のこと。テレビなど今や定番の企画である街の散歩がブームになったのも、この『谷根千』がきっかけだった。山田さんが千駄木に暮らし始めたのは、街歩きを楽しむのにはぴったりなタイミングだったようだ。
「千駄木周辺は、江戸時代からの街の構造が今も残っているんですよ。坂の上は、かつては武家屋敷、今は住宅が建つ『山の手』で、坂の下は昔も今も商店が並ぶ『下町』。坂の途中はお寺や、かつては大名屋敷の庭園だった公園という構造です。台地と低地、『山の手』と『下町』が複雑に入り組んでいるのが東京という街の最大の特徴であり、そこから生まれる多様性こそが東京の活力源だと思います。この構造は街歩きにも最適で、坂ひとつ上り下りするだけで景色も雰囲気も一変するので飽きません」。
 街の構造だけでなく、銀器やべっ甲細工など、江戸時代から続く伝統の技術を受け継いだ商店も千駄木には残っている。
「浮世絵版画を売っている『いせ辰』には、よく海外へのお土産物を買いに行きました。『ゴッホもここの浮世絵を買ったんだよ』と言って渡すとみんな驚くんです」。
  • 山田五郎さん

    「ここは昔、おでん屋だったんだけどなぁ」などなど懐かしそうに千駄木の想い出を語ってくれました。

  • 山田五郎さん

    坂が多いのも谷根千あたりの地形的な特徴。坂を登ったり降りたりするたびに、街の景色も変わる。

PROFILE
  • 山田五郎さん
  • 山田五郎

    1958年12月5日生まれ。上智大学文学部在学中にオーストリアのザルツブルク大学に1年間遊学し西洋美術史を学ぶ。卒業後、株式会社講談社に入社しHot-Dog PRESS編集長、総合編纂局担当部長などを経てフリーに。現在は時計、西洋美術、街づくりなどの幅広い分野で講演や執筆活動を続けている。

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