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  • つのだ☆ひろ × 春日

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春日が私のホームタウン
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今月の水先案内人
今月の街先案内人
今回はミュージシャンのつのだ☆ひろさんがゲスト。生活の場として、そしてライフワークのひとつである音楽学校を運営する場として長年親しんでいる文京区の春日エリアを、たっぷりと紹介してくれました。
福島で生まれ東京・新宿で育つ
 昭和24年(1949年)に福島県白川郡で生まれた、つのだ☆ひろさん。
「もともと父親は浅草で理髪店を経営していたんですが、戦時中に実家のある福島に疎開して、戦後もしばらくそこに住んでいたんです。自分はこの疎開先で生まれました。一家揃って東京に戻ったのは1歳4ヶ月の時です」

 東京で新たに移り住んだのは新宿の十二社。現在、新宿中央公園のある辺りだ。ドラムに出会ったのも、十二社に住んでいた頃だった。
「ある日、家で宿題をしていたらたまたまドラムのスティックを見つけたんです。うちは8人兄妹(きょうだい)なんですが、そのスティックは一番歳の近い兄が映画の『嵐を呼ぶ男』を見てから自分で作ったものだったんです。そのスティックで布団や缶を叩いて遊ぶようになりました。中学生になってから、近所にある熊野神社の能楽堂で毎週日曜日にロックのバンドが練習するのを見に行っていました。ある雨の日に外から練習を見ていたら、中に入らないかってバンドのメンバーから声をかけられて。その時に初めてドラムセットに触りました。
 我が家では中学三年生になると父親に、自分は将来何になりたいか宣言しなきゃいけない習わしがあったんですが、この時にドラマーになるって言い切りました。高校生になってからフリージャズのドラマーとして活躍していた冨樫雅彦さんに弟子入りしました。冨樫さんの家も参宮橋にあって、十二社から歩いて通っていました」
 高校在学中にすでにプロデビューしていた、つのださん。ドラマーとしても新宿という街に育てられたと言っても良いだろう。
  • 山田五郎さん

    運営する音楽学校ワイルドミュージックではフルセットのドラムをレコーディングできるスタジオも完備。

  • 山田五郎さん

    聴覚障害者のための音響システム「夢のフォンシステム」の開発やプロモーションに関わるなど現在も精力的に活動中。

「辞める」ことは「始める」ことにつながる

 19歳の時に渡辺貞夫カルテットに参加したこと、そして自分から辞めたことが人生の大きな転機だったと語るつのださん。
「渡辺貞夫カルテットといえばジャズで日本トップのグループ。スイスのモントルー、アメリカのニューポートなどのジャズフェスティバルにもカルテットの一員として参加しました。渡辺貞夫さんの元、いつも良い演奏をしなければならないプレッシャーがあったのですが、自分としてはアベレージで良い演奏ができなかった。良い時と悪い時が出てしまう。それが自分としても許せなかったんです」
 しかし「辞める」ということは次に「始める」ことにつながる。一流のジャズカルテットを自ら辞めることで、ゼロから何かを始めることを学んだという。
 その後、ハードロックやポップスなど様々なジャンルの音楽にゼロから取り組んで来たつのださん。ここ春日に住まいを移したのも、音楽学校を始めるという新たなチャレンジがきっかけだったそうだ。
「子育ても終わったので、音楽学校を作ろうと思って3ヶ月間、学校が運営できそうなビルをネットで探しては夜に見に行くということを繰り返していました。そうして見つけたこの建物に越して来たのは14年前のことです」
  • 山田五郎さん

    「ここは宮沢賢治が住んでいたところ」と案内をしてくれたつのださん。春日には歴史の痕跡が数多く残されている。

  • 山田五郎さん

    細い路地のさらに奥にあったのは樋口一葉が使っていたという井戸。一葉の等身大の生活がうかがえるスポットだ。

PROFILE
  • 山田五郎さん
  • つのだ☆ひろ

    1949年8月1日生まれ。高校三年生の時に、鈴木弘とハッピー・キャッツのメンバーとしてプロデビュー。その後、ジャズやハードロック、ポップスなど多彩なジャンルのドラマーとして活躍。1971年にリリースした「メリー・ジェーン」など作曲家やシンガーとしても知られる。音楽学校ワイルドミュージック(https://wildmusic.jp/)も主宰している。
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