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  • 山田ルイ53世 × 大塚

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大塚が私のホームタウン
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今月の街先案内人
今月の街先案内人
お笑いタレントとして、そして最近では自身の体験をつづった著作も反響を呼んでいる、髭男爵の山田ルイ53世さんが今回のゲスト。上京後に10年以上暮らしていた大塚の街を紹介してくれました。
ヒキコモリ明けにはちょうど良い街だった大塚
 中学2年生の時に起きたある事件がきっかけで5年間のヒキコモリ生活を続けた後、愛媛県の大学に入学。しかし大学2年生の時に、ほぼ何も持たずに向かった先は、東京北部の街・大塚だった。山田ルイ53世さんは、21歳からの約10年をこの街の住人として過ごした。
「東京に出てきてお笑いの養成所に通うことにしたんです。親にも友達にも何も言わずに、ほぼ失踪同然の状態で東京に来ました。住むところも不動産屋に電話をして下見もしないで決めました」
 東京の中でも大塚を選んだ理由を聞くと、
「山手線の駅もあるし、池袋もすぐ近くだということもありましたけど、渋谷だとか下北沢だと、同年代のキラキラした若者が歩いているでしょ。そういう若者を見ていると劣等感で耐えられないだろうと思って」と語ってくれた。
 こうして東京で住み始めたのは1ヶ月の家賃が1万5000円という物件。東京への引っ越し代や養成所の学費で、ほとんど手持ちのお金がないところからスタートした東京生活だった。
「養成所は赤坂にあったんですが、お金がないこともあって、片道2時間くらいかけて歩いて通っていました」
 そこまでお金がないのなら、いろいろとアルバイトをしたのでは、と聞くと「その頃は、働いたら負けだと思ってた」という。それでも、背に腹は変えられなくなり、近所のコンビニでアルバイトを始めたそうだ。
「例えばファストフード店だと、バイト先に自分の夢を熱く語るような若者がいそうじゃないですか。自分のバイト先のコンビニには、そういうキラキラした若者は働いていなかったので、居心地は良かったですね。今振り返ると、大塚という街は、ヒキコモリをやめてすぐの自分にとって、ちょうど良い湯加減の街だったんだと思います」
  • 松本まりかさん

    山田ルイ53世さんが住んでいたのは豊島区北大塚。「この繁華街を抜けて家に帰っていたんですよ」

  • 松本まりかさん

    当時住んでいたアパートがあった場所は、まさに工事の真っ最中で感傷に浸ることはできなかった。

家賃月8000円の一室で暮らした下積み時代

 今回、この「マイホームタウン」の取材で、数年ぶりに大塚を歩いたという山田ルイ53世さん。JR大塚駅に商業施設ができたり、おしゃれなチェーン店のカフェがオープンしていたりと、その変化には驚いていた。しかし、駅から少し離れた自宅のあったエリアに近づくと、少し嬉しそうに案内をしてくれた。
「アパートに住む前にここで1週間野宿してたんだ」「この道はね、当時唯一の財産だったテレビデオを持って質屋に行った道。持って行くと1万5000円借りられたんだ」「この公園で花見もしたし、ひぐち君とネタ合わせしたり」と、芸人として有名になる前の思い出を語ってくれた。
 大塚で2番目に住んだという場所にも案内してくれた。上京当初に住んだ家賃月1万5000円のアパートも支払いが苦しくなり、月8000円のアパートに引っ越したという。この月8000円の家賃も、最終的に2年分滞納し、お笑い芸人として売れるようになってから、色をつけて返済した。そんな思い出のあるアパートに行ってみると建物の痕跡はなく、まさに工事をしている最中だった。東京という街の変化のスピードを感じた一瞬だった。
  • 松本まりかさん

    住んでいたアパートから通った銭湯も数ヶ月前に閉鎖されていた。「オレの関わる場所ばっかり...」

  • 松本まりかさん

    山手線の車窓からも見える大塚駅近くの細い道も、山田ルイ53世さんが下積み時代よく歩いていた場所。

PROFILE
  • 山田ルイ53世さん
  • 山田ルイ53世(髭男爵)


    1975年、兵庫県生まれ。1999年、ひぐち君と髭男爵を結成。主な著書に『ヒキコモリ漂流記 完全版』(角川文庫)、『一発屋芸人列伝』(新潮社)、『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)がある。『髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ』(文化放送制作)をはじめとしたラジオ、ナレーションやコメンテーターなど幅広く活動中。

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